まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

森田安一「ルター」山川出版社(世界史リブレット人)

ドイツで宗教改革が16世紀に起こり、それがきっかけでヨーロッパのあり方は大きく変化していきました。この動きはヴィッテンベルク大学の聖書学教授であったルターが、免罪符販売に対し「95か条の論題」を張り出したことがきっかけであったと言われています。

ヨーロッパ世界に大きな変化をもたらしたルターがどのような生涯を歩んだのか。本書ではルターの宗教改革とその時代について長年研究してきた著者が、彼の生い立ちから、彼の死、そしてアウクスブルクの宗教和議までをコンパクトにまとめていきます。

コンパクトな一冊の中に、彼の姓がある時期までは「ルダー」であったという記述がまずあらわれます。彼のルーツを辿ると、自由農民であり銅鉱業などのビジネスにも手を出していた祖父、銅鉱業で財をそれなりに築き市政にも参加するなど社会的に上昇した父という家系だったことがわかります。父親は息子にも期待をかけ、大学では法学を学ばせようとしたものの、息子は大学を中退し修道院へ入ってしまいますが、このことが宗教改革者ルターの最初の一歩だったわけで、人生はなにがどのような影響をもたらすのかはわかりませんね。

修道院では徹底した禁欲的生活を送るも思うような結果が得られず、神を亡き者にしようとまで考え、そのような時に聖書研究に没頭し、そこから宗教的真理を獲得するにいたります。これは決して教会への不満は批判から生まれたわけでなく、彼自身の内面的な活動の結果としてであることが指摘されています。そこから宗教改革の原理をうみだすことになったということがまとめられ、彼は自分が探求によって得た宗教的確信を大学の講義や公開の神学討論の場で他者に示しはじめます。この時点で、人間の意志は自由でないという考えにいたっていたことも示されています。宗教改革者として活躍する土台はここでもう出来上がっていたということでしょう。

彼がこのような活動をしている頃、贖宥符がドイツで大量に売られはじめ、それに対してルターが「95か条の論題」を示すことになるという、宗教改革でよく出てくる話へと続いて行きます。贖宥じたいは告解に関わることであり、信徒が罪を悔い、司祭に告白して赦しをうけ、赦しに対し償いをするという告解の秘蹟のちゃんとしたプロセスをふんでいれば、贖宥符購入自体はなんら問題がないという旨の記述があります。世界史では意外とこの部分は触れられずに話が進んでいることが多いため、気をつけたいところです。

当時のドイツでは、高位聖職を集積するというルール違反を金でなんとかしたマインツ大司教と、サン=ピエトロ大聖堂の費用をなんとかしたい教皇の思惑から贖宥符を大量に売る必要があったようすが伺えます。そこからとにかく売るために告解の秘蹟など全く無視するようなこともしつつ(煉獄の魂さえ救われるというのは流石に違うようです)、大量の贖宥符が売られ、人々も安易で確実な救済の方法に飛びついたというのが、当時ドイツで大量の「免罪符」が売られたということの実情だったということが示されています。

これに対して抗議したのがルターだったというわけですが、本書では「95か条の論題」をめぐる現代の議論の概要が紹介されています。一般的なイメージでは、ルターが大学の門に論題を張り出したという形で広まっていますが、そもそもこの論題の原本がなく、目撃証言もなく、後世の話でしかなく、ルターは論題を掲示しなかったという説が一時定説化していたようです(かなり昔の講談社現代新書宗教改革本では、論題の掲示はなかったという話で進められていました)。その後も、掲示の有無をめぐり研究者の間でも議論があり、本書では「95か条の論題」の原本は現存しないが、存在はしていた、しかしそれをわざわざルター自身が門に貼り付けることはしなかったという結論を示しています。この辺りは歴史学的手続きの一端が一般書で示されているとも言えます。

その後は、ルターの宗教的真理をめぐるカトリック側との討論、皇帝の対応と諸侯の対応がまとめられていたり、万人司祭主義をルターが生み出していく過程に言及した箇所があり、またデューラークラーナハといったルターを支持する姿勢の人々の存在にも触れられています。なお、ルターは帝国で法の保護の対象外(アハト刑による)となり、ザクセン選帝侯に匿われて活動をしたということは知られていますが、ザクセン選帝侯とルターたちの間で一計を案じ偽装誘拐をおこしたら、デューラーが本気で信じてしまったことや、匿われている間はルターが「騎士イェルク」に変装して過ごしていたなどの話題が取り上げられており、なかなか興味深いです。

ドイツの諸侯の中にルター支持勢力が現れる一方、ルターは味方を増やすということでは少々失敗している様子もうかがえます。例えば、スイスのツヴィングリが宗教改革を進めていましたが、ルターと彼の間では見解があい容れない部分があり、両者の協力体制は作れていなかったことや、ルターの影響で起きたと言える農民戦争に対してはルターはかなり厳しい姿勢をとったこと、そしてエラスムスとは自由意志の存在などで対立し、人文主義者の支援も期待できなかったことなど、ルター側でも結局のところ諸侯を頼るしかない状況になってしまっていたようです。

そして、ドイツの国内外における複雑な事情がルターに幸いしたこともよく言われていますが、シュパイアー帝国議会以降、アウクスブルクの和議にいたるまでの流れがコンパクトにまとめられ、ドイツでプロテスタントが一定の地位を築くまでのプロセスを本書でだいたいおさられます。一方、晩年にむかうにつれ、思想面ではルターはあまり振るわなくなります。体調不良(メニエール症候群だったらしい)があったにせよ、再洗礼派やユダヤ人に関する姿勢が30年間で全く違う方向へ進み、少数者に対する寛容の姿勢が消え厳しい姿勢をとるにいたったのは何故なのか、いったいどこでそのような転向が生じたのかは気になるところです。

内容をまとめて紹介すると、だいたいこのようなところでしょうか。ルターの生涯をとりあえずおさえるのに手頃な一冊だと思います。ルターに関しては岩波新書でも数年前に出ていたような気がするので、それも合わせて読むと、ルターについての理解が深まるような気がします。