まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

イヴォ・アンドリッチ(松谷健二訳)「ドリナの橋」恒文社

ユーゴスラヴィアを構成していたボスニア、そこをながれるドリナ川にかけられた石造りの橋と、橋のそばにある街ヴィシェグラード。この街と橋を舞台に、オスマン帝国大宰相ソコルル・メフメト・パシャが川に橋をかけるところから、第一次大戦のはじまりとともに橋が爆破されるまでの約400年間、この地で生きた人々の悲喜劇がえがかれていきます。

ドリナの橋ができ、この橋とそばの街を舞台に多くの人が登場してはきえ、オスマン帝国の力の陰りとともに橋を取り巻く環境も変わっていきます。オスマン帝国の領土が縮小し、橋のそばに作られたキャラバンサライを維持するためのワクフが失われるとともにキャラバンサライも廃れていったり、オスマン帝国領からオーストリアの支配へとかわると街の様子も変わっていきます。

400年間、そこにありつづけた橋と街には様々な人々が現れては消えていきます。橋の建設を妨害し処刑された男と、犯人探しのプレッシャーから精神が崩壊していった警吏、意に添わぬ結婚をさせられることになり橋から身を投げた女、酔っ払って橋の上に登る酔漢、ムスリム、正教徒、ユダヤ教徒が暮らす街で、洪水という非常事態において彼らが一堂に会し会話が弾むひと時を過ごしながらセルビア人の反乱がきかっけで処刑された正教司祭、商売を切り盛りするユダヤ人女性、盗賊をうっかり見逃してしまい軍法会議を恐れ自殺したオーストリア軍兵士、社会主義や民族の独立について熱く語る大学生、橋と街を舞台にこうした人々のドラマが連なり展開していきます。なかには賭け事により破滅に追いやられそうになった男の不思議な体験のような伝奇めいた話も含まれています。

そしてこの地をめぐる複雑な歴史もうかがえる展開になっています。皮が流れるがごとく、ここで起きた悲劇も喜劇も過ぎ去っていきますが、川の流れはうわべでは穏やかでも、水面下では渦がまいていることもあります。オスマン帝国領でありながら様々な民族が住むこの地はナショナリズムの影響を受ける地でありました。19世紀、セルビア人の反乱がおきたとき、セルビア人とトルコ人の反目が生じ、トルコ人によるセルビア人への迫害も強まります。反乱が治ると表向きは両者の反目も目立たなくなり、普段通りに戻ったようにも見えますが、それはおもてに見えなくなっただけで、決してなくなったわけではないことは明らかです。民族対立の問題はオーストリアの支配によりさらに状況が深刻になっていきます。

そして、かつてはワクフにより維持されていたキャラバンサライオスマン帝国の領土縮小によりワクフが失われ寂れていった様子や、かつては勉強しかしてないような学生ばかりだったのが、いつしか集まって政治について論じ、社会主義について議論を戦わせ、青春を謳歌するような学生の姿が目につくところ、かつて繁盛していた店が競合店の増加により衰えていったりする場面からは「ゆく川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」という方丈記の一節が思い浮かびます。本書でも、それを思い起こさせる記述がいくつかみられますが、川の流れをみているとそのようなことを考える人が多いのでしょうか。

橋と街、そして川を舞台にし、そこで暮らす多くの人々の悲喜劇を見つめ続けた橋を主人公として、浮かんでは消える人々の悲喜劇と、多民族が暮らすボスニアの歴史を描き出した大河ドラマとして、非常に面白く読めました。現代となっては少々古いスタイルの文章のように感じましたが、非常に面白い一冊です。