まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

ウンベルト・エーコ(橋本勝雄訳)「プラハの墓地」東京創元社

「シオン賢者の議定書(プロトコール)」という書物があります。ユダヤ人が世界征服を目論むという内容をあつかい、ナチスの蛮行の拠り所となったとも言わ れる本です。現在はこの本は偽書ということで一般的な評価はできあがっていますが、なおもこれをもとにユダヤ人の陰謀について語る人がいたりするという曰 く付きの一冊です。そんな本が何故この世に出回るようになったのか、それを物語として描き出したのが本書です。

この物語の主人公のシモニーニは幼い頃より祖父から反ユダヤ的感情を教えこまれ、祖父の死後は公証人の見習いという立場で、様々な文書を巧妙に捏造してい きます。やがて文書偽造の腕が当局の目にとまった彼は、スパイ活動に関わるようになり、さらにはそれらしく振舞うことで上手く立ち回るということも覚えて いきます。この過程でイタリア統一運動にも関与したかと思えば、プロイセンとフランスが戦っている際にはフランスへ送られ、そこでパリ・コミューンの一部 始終を目撃することに、さらにドレフュス事件にも関わっていくといった具合に、シモニーニ自身が近代ヨーロッパの歴史的事件の背後にいたりします。それだ けでなく、彼はプラハユダヤ人墓地で陰謀をたくらんでいるという話を作り上げ、それがやがて「シオン賢者の議定書」へと繋がっていくことになるのです。

そんな彼の行動について、神父ダッラ・ピッコラが色々と書き残してます。しかし、シモニーニの記憶が怪しい部分をこの神父が克明に書き残していたり、なぜ かこの2人が同じ部屋にいた形跡があったりし、シモニーニはこの神父が言った何者なのか悩みつつ、この神父とシモニーニが日記上でやりとりをしていくこと になります。また、それを後に検証する「語り手」によって物語は進んでおり、全て違うフォントを使いながらシモニーニ、ダッラ・ピッコラ、「語り手」の3 人の視点で同じ出来事が違う視点から語られ、それが組み合わさっていくところが面白いですね。

主人公シモニーニ自身がなにかユダヤ人にひどい目にあわされたという感じではないのですが、このような陰謀をでっち上げ、それがのちの時代に大変な悪影響 を与えています。様々な民族に対するステレオタイプ的な偏見を披瀝していたりするところなどなど、彼自身は正直なところ、ろくでもない人に分類した方が良 い人物ではありますが、そんな彼の美食に関するシーンはなかなか興味深いです。実際にあったら食べてみたいと思うものも色々とあります。s

シモニーニ自体は創作ですが、その他はほとんどが実在の人物であり、実際のヨーロッパの大事件があつかわれています。歴史物の小説やドラマで、主人公を実 際の事件や実在の人物に絡めようとすると、色々と無理をしなくてはいけないところもあり、大河ドラマなどではよくそれをめぐってかなり無理な展開を作らな くてはいけなくなることもあります。しかし、本書はそのような無理や不自然さは特に感じることなく読むことができました。どのように関連させるのかを緻密 に作り上げていることがよくわかりました。

また、エーコは別の著作で「シオン賢者の議定書」がどのようにして作られていったのか、その過程を論じたことがあります。その時に論じた内容に主人公シモ ニーニを設定し、彼を近代ヨーロッパにおいて縦横無尽に移動させ、フラッシュフォワード、フラッシュバックを組み合わせながら物語を展開していきます。 エーコの文学理論や研究、博識を実際に物語作成のためにもりこみながら書かれた本書は色々な読み方をして楽しめると思います。