まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

ボレスワフ・プルス(関口時正訳)「人形」未知谷

世界史で必ず出てくるロシア=トルコ戦争(1877~78)の時期、バルカン半島の方に赴き、莫大な財産を築いて帰ってきたひとりの男がいました。その男、ヴォクルスキは零落した家の生まれで、ポーランドがロシアに対し蜂起した際にそれに参加し、シベリア流刑にあいながら、ワルシャワに舞い戻ると高級雑貨店の店員から経営者にのし上がったという経歴の人物ですが、莫大な財産を築き上げた彼は社会的にも注目を浴びるようになってきます。

ヴォクルスキは手広く商売を行うだけでなく、貴族たちに出資するほどであり、やがて貴族のサロンにも出入りするようになっていきます。彼はかなり思い切った行動をとる人物でもあり、それにより富を築き上げ社会的地位を上昇させていく一方で、貧しい人々、困っている人々を助けたりもする一面も持ち合わせています。

そんなヴォクルスキが好意を寄せるのは零落した貴族の娘ウェンツカですが、彼女は彼を相手にせず、まして自分の結婚相手としてはなかなか見ようとしていません。物語の主筋としては、ヴォクルスキのかないそうにない身分違いの恋愛感情というのはあげられるでしょうか。ウェンツカへの恋愛感情と、恋愛に対し虚しさを感じたり色々と悩みを抱えたりしながら、ヴォクルスキが辿り着くのは一体どこなのか。

この2人をめぐる部分についてですが、なんとなく、「グレート・ギャツビー」を思い起こさせるようなストーリー展開が続いていきます。自分の方をなかなか向いてくれないウェンツカ嬢を振り向かせるため、ヴォクルスキは築き上げた富を惜しみなくつぎ込み、彼女が入れあげる役者のために花を送るとか、彼女が気になるヴァイオリニストとなんとかつながりをつけようとしたりする姿が見ていて痛々しくも感じます。

一方、この本では19世紀のポーランド社会の多様な勢力の鬩ぎ合う様子が描かれています。まずかつてポーランドで力を持っていたウェンツカなど貴族たちは実際のところ破産寸前、にもかかわらずサロンに出入りし派手な金遣いを続け、貴族たち独自の慣習や文化(決闘なども残っています)を相変わらず維持していたりします。

そうした貴族たちがいる一方、ヴォクルスキに代表される新興市民層もおり、さらにポーランドには多くいたというユダヤ人たちも存在感を増していきます。作中でも、ユダヤ人たちが経済活動の主だったところを押さえていく様子が描かれています。その一方でユダヤ人に対する反感も強まっていく様子が描かれています。そしてまともに人として扱われない庶民、農民たちがいたかと思えば、社会主義思想の影響を受けた学生たちもいたりすると言った具合です。

また、ヴォクルスキと古くから仕事をともにしている老店員ジェツキはかつてハンガリー革命に参加した過去を持ち、さらにはナポレオン一族による欧州制覇を未だ夢見ているという、ロマン主義主義者の生き残りのような人物です。ヴォクルスキ自身にもロマン主義者といってもいい要素を感じるのですが、ジェツキには彼の生き様がナポレオン一族とダブるところがあるように見えているのでしょう。また、興味深いのは英語を使うということが段々と価値があること、教養があることと見られ始めているような場面がみられました。ヨーロッパの上流階級の公用語というとフランス語だった時代に、それが徐々に変わり始める様子がうかがえます。

新旧様々な勢力があい見えるポーランド社会の様子や社会批評的な視点、ロシアとオスマン帝国の戦争やベルリン会議ビスマルクやマクマオンといった政治家など19世紀ヨーロッパの激動の歴史を感じさせる要素を盛り込み、さらに登場人物の語り口を色々と使い分けながら19世紀のポーランドとそこで生きた人々の歴史を描き出した作品のように感じました。また、本書に描かれたヴォクルスキの生き様やジェツキの備忘録とその生涯の終わりまでのながれからは、ヨーロッパでかつて流行し、ポーランドでも非常に強い影響力を持っていたロマン主義にたいする挽歌のような話とも感じました。ページ数は尋常ではなく多く、厚さも1200ページという長大な小説ですが、ストーリー展開はかなり素直であり、語り口に合わせ訳語も工夫するなど、読んでいて飽きない一冊です。行き帰りの電車で気軽に読める本ではないと思いますが、是非読んでみて欲しいと思います。