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エドワード・J・ワッツ(中西恭子訳)「ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人」白水社

キリスト教が公認、やがて国教となっていく流れの中、伝統的多神教の信仰もなお続けられている後期ローマ帝国アレクサンドリア。そこで優れた数学者・哲学者として活躍し、当時の政界や宗教界の要人となるような優れた弟子を輩出した女性がいました。そして彼女はその悲劇的な最期もあり、彼女の存在については死後に様々な意味を与えられ、様々な陣営の「旗印」のように使われているようにも見えます。

本書では、何かの象徴のように扱われがちなヒュパティアについて、伝説化した姿ではなく彼女がどのような生涯を送ったのか、当時の社会や学術の状況の中で彼女がどのような位置づけにあったのかを描き出していきます。ヒュパティアが生きた時代のアレクサンドリアの都市の構造や社会階層について章を割き、そのほか、彼女が生きた時代に受けたであろう教育課程や哲学の流れについて、さらにキリスト教徒であれ伝統的多神教徒であれ所属できるヒュパティアと弟子たちの共同体のあり方についてもまとめられています。

興味深い内容としては、ヒュパティア以外にも活躍した女性学者たちについてまとめている章があります。女性が学問をする、教えるということが様々な制約のもとであってもある程度行われていた様子がうかがえますが、やはりシャドウ・ワークのようなモノであったり、あまり表に出てこないところでの活動であったようです。彼女たちと比べたとき、公の場で教え、公共的知識人として活動したヒュパティアの存在が極めて特異であることが伝わってきます。そこまでの地位を築くまでに彼女が犠牲にしたモノの大きさや重さにも目を向け、考える必要があるでしょう。

公職に就けないなど女性に対する様々な制約があるなか、ヒュパティアが並々ならぬ覚悟のもと己を厳しく律し様々なものを犠牲にしながら当代随一の哲学者の地位を確立し、必要とあらば政治家などにも助言を与えるなど公的な活動に関わったことが描かれています。それとともに、彼女が作り上げ体現してきた、宗教の違いがあれどともに学ぶことができる共同体のもろさも描かれています。彼女の殺害をあつかった第8章で、宗教的な帰属が党派をしめすものになる世界が、暴力を伴いながらたちあらわれていく様子が描かれていますが、アレクサンドリア社会の分断や経済格差と宗教の違いがだんだんと結びついていくかのような感じを受けました。

古代世界の女性について迫ろうとすると、史料的制約が非常に大きくなっていきます。多くの史料は男性の書き手により残され、彼らの物の見方や考え方をとおして我々は古代の女性についてみてしまい、そのまま見方を引きずってしまうと言うことも起こり得ることです。本書ではそうした「ゆがみ」を可能な限り取り除きながら、ヒュパティアの実像に迫る試みが進められています。

「史料にこう書いてあるから」ということでその内容を無批判に載せるのではなく、そのゆがみをもたらすモノが何なのか、そこに気をつけながら読み解き、描き出す、古代史に関しては他の時代以上に気をつけなくてはいけないことですが、非常に困難を伴う作業です。本書はそれをしっかり行った上で、ヒュパティアの生涯と後世におけるヒュパティアの受容の様子が読みやすくまとめられており、古代史に興味のある人はもちろん、女性史に関することや哲学や思想に関することに関心のある人にも読んでほしい一冊です。