まずはこの辺は読んでみよう

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篠原道法「古代アテナイ社会と外国人」関西学院大学出版会

古代ギリシアのポリスというと、世界史では大抵アテナイの事例がとりあげられます。アテナイというとポリスの可能性を極限まで実現した徹底した直接民主政ですとか、市民間の平等、奴隷制に立脚した社会、そして市民団の閉鎖性といったことがしばしば取り上げられます。市民団の閉鎖性というと、両親ともにアテナイ市民でなければ市民として認めないとするペリクレスの市民権法が取り上げられる事が多いでしょうか。

しかし、アテナイの町には市民と奴隷以外に在留外人(メトイコイ)と呼ばれる人々が住んでいました。彼らは市民ではないため参政権はなく、土地の所有権もないが従軍や納税の義務はある、司法の点では市民と同様の訴訟の権利はなく、さらに拷問される可能性があるという人々です。しかしアテナイにおいて経済活動や社会を営むにあたり欠かせない存在となっていた様子も窺えます。

ペリクレス市民権法にみられるように、アテナイ市民は血縁に基づく閉鎖的な集団というところはありますし、紀元前4世紀にもそれは続いていたこと、外国人に対する顕彰で市民権や土地所有に関するものが付与されることはありますが、実際に外国人が持つことに対してはハードルが結構高い様子はみられます。しかし、本書ではアテナイの外国人と市民の間を隔てる境界線は揺らぎが見られることを論じていきます。

本書で扱われている内容をいくつか挙げてみると、アテナイ市民は「秩序正しきもの」や自分たちの規範を共有する者としてポリスに貢献する外国人を認識し、ポリスに対する「エウノイア」「フィロティミア」の故に外国人を顕彰し、リュクルゴスやデモステネスといった政治家と外国人の協力関係など、市民と有用な外国人の間に関係を構築しようとしていたといったことが挙げられます。こうしたことから、ポリスのメンバーシップが特に紀元前4世紀に入るとより開放的なものとなり、市民と外国人の関係が柔軟なものとなっている面が見られるようです。

外国人との関係だけでなく、アテナイの市民とポリスの関係についても時代により変化が見られることが示されています。市民団としての平等性や閉鎖性が強調された時期はアテナイが「帝国」化しアテナイ市民が特権集団的な存在となっていた時期であると言う指摘はなかなか興味深いと思いました。

また、外国人も包摂するようなメンバーシップが重要性を帯びていくことにも関係するようですが、一体性や平等性が重んじられ個人が名誉を求めることが否定的に見られた紀元前5世紀に対し、紀元前4世紀に入ると個人がポリスのために積極的に行動することを肯定的に評価して顕彰をおこない、名誉によって報いることが普通になるといったことが指摘されています。

そして、市民が外国人をどう見たのかだけでなく、外国人の側がどう考えていたのかも明らかにしようとします。本書は外国人の視点を考察するにあたり墓碑の文言及び表現されている図像、さらに設置場所にも注目しながら論を組み立てています。外国人墓碑については、交易に従事する北東部地域と南部地域の外国人が流入し、中心的な墓地であるケラメイコスに墓を持てる者も現れ、中にはエリート層と同じ所に墓を持つ者までいたということ、出身地に愛着を持ちつつアテナイ社会になじもうとし、アテナイとの結びつきをアピールする様子が示されています。

さらに、紀元前4世紀に戦争への貢献を理由とした市民顕彰が増え戦いを描いた市民の墓碑も増える一方で、外国人の墓碑で英雄的な戦士として表現されたものが紀元前4世紀後半に消えることや、職業の表現が多く社会的機能を通じ名誉をアピールするなど、外国人が社会規範や求められる社会的機能の違いに配慮しつつその枠の中で名誉を求めていた様子もうかがえます。墓碑に注目した本書の後半は特に面白く読めた箇所でした。

本書は、ポリスについて血縁原理とは異なる「住民」として市民と外国人を包摂するようなメンバーシップのあり方もみられることを示し、ポリスのありかたについて考えていこうとする一冊です。そしてポリスの市民と外国人の関係が極めて柔軟であるという捉え方は、本書で扱われた時代より後のヘレニズム時代のポリスのあり方に通じるものがあります。市民団の閉鎖性や一体感、共同体的性格をポリスの本質ではないととらえ、ではポリスとは何かと言うことを考えていく、従来と違う視点の取り方でどのようなポリス像が描けるのか、アテナイ以外の事例の検討も含め、今後の展開を期待して待ちたいと思う一冊でした。