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橋場弦「民主主義の源流 古代アテネの実験」講談社(講談社学術文庫)

古代ギリシアアテネというと、直接民主政を実現したポリスとして知られています。そのアテネ民主政についてはポリスの市民による民主政を最大限に実現し たものとして高く評価される一方で、「衆愚政」として批判的に語られることもあります。特にプラトンなどの著作で批判的な言説が残され、それが後世にまで 残っているため、アテネ民主政に対する否定的な意見というのは今もかなり強く残されています。そのため、アテネの歴史というと煽動政治家が登場し、以後衆 愚政に陥り政治が混乱し、マケドニアに屈したという形で語られることがおおくなっています。

しかし、果たしてアテネ民主政は混乱が続いたのでしょうか。確かにペロポネソス戦争の後半、末期の頃にはそのような状況が一時期発生したことは確かです。 しかし実際のアテネがその状態を引きずり続けるということはなく、紀元前4世紀のアテネは民主政を再建し、しくみとしてより整備されたものへ発展させてい たことが最近では知られてきています。「参加と責任」にもとづく直接民主政のシステムを描き出す本書もその流れに位置する一冊です。

本書では、まず前半でミルティアデスとペリクレスというアテネの歴史において英雄的な活躍を見せた個人の話を取り上げながらアテネ民主政治の発展について 考え、さらに随所に古代と近代、そして現代の違いについて留意するような記述を織り交ぜつつ(個人的には、古代アテネの責任や法、正義などに対する意識が 近代とどう違うのか具体例があるとわかりやすくなると思いました)、アテネ民主性のシステムとペロポネソス戦争の混乱と迷走の後のアテネ民主政の歩みにつ いて説明していきます。個人的には、アテネ民主政再建以降を扱う後半部分こそ本書において特に重要な箇所なのではないかと思いますが、紀元前4世紀のアテ ネ民主政はどのような仕組みを作り上げていたのでしょうか。

大まかに言うと、まずは本書において「人治から法治へ」という形で表現されていますが、法が民会決議より優位に立つことが確定したということがあげられま す。ペロポネソス戦争を経験したアテネの人々が立法に関して民会の役割がある程度制限され、立法委員会に法案批准が委ねられるようになることで、一度の民 会決議で国家の法が簡単に改廃されることがなくなり、また民会では安易に法に反する決議を出すことができなくなっていきます。ペロポネソス戦争末期に始 まったとされる「違法提案に対する公訴」がそれを補償する制度として存在し、実際に(それが政争がらみなこともありますが)使われ、民主政が変な方向へ向 かわぬように抑制する役割を果たしていたことも見られるようになっています。

さらに、役人の資格審査と執務審査がより徹底され、すべての役人を対象として行われるようになったことも挙げられます。復活した民主政において、アテネの 役人に求められた資質としては民主政に対する忠誠ということがかなり重要だったという指摘がなされています。民主政復活とともに大赦をおこない、寡頭政関 係者に対する報復は行わないことを定めましたが、やはり民主政を転覆させようとする動きに対しては警戒し続けねばならなかったことをうかがわせる事柄とし て取り上げられている事柄です。このことはソクラテス裁判とも関係するというのが本書では指摘されています。

そして、民主政アテネで整備された民衆裁判の仕組みについても詳しく説明を加え、民衆裁判についてはプラトンも民衆の司法への参加の原理そのものは認めて いるということが指摘されています。プラトンなど哲学者というとアテネ民主政に対し批判的ということがとかく強調されますが、彼らが問題にするのは仕組み というよりもそこに関わる人々の質のようです。

このようにペロポネソス戦争後にむしろ整備され、安定したアテネ民主政がなぜ終焉を迎えたのかということに関して、世間一般で言われるような衆愚政に陥り 衰退したという説明を取らない本書ではどのような説明をしているのか気になる人も多いかもしれません。政策を立案する政治家とそれを実行する半職業軍人的 な将軍の役割分化、財務官の登場といった専門分化という内部の変化も指摘していますが、本書ではアテネ民主政の没落をもたらした決定的な要因をマケドニア という外部の強大な敵に敗れたということに帰しています。

マケドニアの平和」のもとでのアテネについての評価はなかなか難しいところもあると思います。「アテネ最期の輝き」では慢性的戦乱から解放され国内安定に注力し、民主政治も市民たちは誇りを持って取り組んでいたという姿勢で論じていましたが、本書では本当の意味での自由を失ったカイロネイアの敗戦からラミア戦争までの民主政は「空虚な題目」としてかなりシビアな評価が下されています。

確かに、民主政転覆罪に関わる奇妙な弾劾裁判の事例を見ると、当事者たちは真剣かつ大真面目なのかもしれませんが、いささか芝居染みた感もあります。しかし一方で外交面では大きな制約をうけつつも、整備された民主政のしくみのもとアテネが平和を享受し、安定した状態を維持できたことについてはそれなりに評価すべき事なのではないかとも思います。市民たちの実践の積み重ねや経験が民主政であるという本書の姿勢からすると、この時代に民主政は地に足が着かぬ浮ついたものと見えるのかもしれませんが、ある種の守るべき、そしていつか復活させるべき理想となっていたようにも個人的には思えます。

慢性的な戦争状態が続く古代ギリシアにおいて現れた、市民たちの試行錯誤の積み重ねの上に成り立つ民主政アテネの歴史をひも解きつつ、民主主義の来し方行く末について思いをはせる、そういうきっかけになる一冊ではないかと思います。そして、今後刊行されるであろう塩野七生「ギリシア人の物語」続刊では間違いなく否定的なニュアンスで描かれるであろうペリクレス以後の時代について、ちょっと立ち止まって考えてみるときの手がかりには間違いなくなるでしょう。あの本を読んでギリシア史に少しでも興味を持った方がいたら、次にぜひ読んで欲しい本の一つです。