まずはこの辺は読んでみよう

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レオ・ペルッツ(垂野創一郎訳)「聖ペテロの雪」国書刊行会

物語は、医師アムベルクが大怪我の昏睡状態から目覚めるところから始まります。少しずつ何があったのか記憶を取り戻しながら、その時に彼の記憶と周りから 言われたことに大きな食い違いが生じていることが判明します。彼の記憶では5週間前にモルヴェーテへいき、そこで医師として勤めはじめ、奇妙な出来事を経 験したことになっています。しかし医師からは5週間前にオスナブルック駅前で車にはねられ重傷を負い意識を失っていたということでした。この記憶の違いは 一体何なのか、、、、?

このように何が事実で何が夢や幻想なのかがよくわからないという状況でアムベルクは自分が経験した出来事を語り始めます。それは彼の雇い主となったモル ヴェーテのフォン・マルヒン男爵が企てた壮大なる野望、神聖ローマ帝国を復活させるという企てとその顛末でした。それに加えて、かつての研究所の同僚だっ た女性ビビッシェとの愛が語られていきます。

男爵はビビッシェとの間で「聖ペテロの雪」などなどの呼び名を持つある出来事(「聖アントニウスの火」という言い方で知っている人もいるかもしれません) について研究し、それが何によって起きているのかを突き止めた上で、自らのくわだてる神聖ローマ帝国の復活という野望に利用しようとしています。ヨーロッ パでこれまで幾度となく発生してきた宗教的熱狂(十字軍など)がこれまでの歴史で幾度となく発生してきた背景とシュタウフェン朝神聖ローマ帝国の復活の野 望が絡まり合い、男爵の計画が最後まで実現されたとき、それは男爵の思っていたものとは全く違うものへの信仰として現れることになるのです。

アムベルクが語ったことははたして真実なのか、それとも彼の夢なのかは判然としないところもありますが、私はこれはどうもアムベルクの願望が凝縮された形 で現れた夢ではないかと思います。彼の父親は中世史を中心に(フリードリヒ2世もあつかっている)研究しており、家には専門書が多くそなえられ、彼自身も 歴史学者になりたいという思いがありながら、面倒を見てくれた叔母の意向に逆らえず医師となったという経緯、研究所で出会ったビビッシェのことを気にして ながら特に接点を持てぬうちにビビッシェがどこかへいってしまったという事、こうしたことがビザンツリューリク朝、シュタウフェン朝、ヤゲロー朝など中 世各国の君主の末裔と称する人々がなぜかモルヴェーテに集まっていたり、ビビッシェとアムベルクの恋愛がどうみてもアムベルクに都合が良すぎる展開で進ん でいくところなどはそういうことが現れているのではないかと思います。

フォン・マルヒン男爵のような目にあった人々はいたのかというと、この本でも取り上げられるフリードリヒ2世について大著を残したカントロヴィチや、第一 次大戦で毒ガスを発明したハーバーなどは当てはまるところがあるかと思います。どちらもユダヤ人ですが、第一次大戦では愛国者ぶりを発揮し、二人ともナチ スの迫害に遭い国を出ていかなくてはならなくなります。二人ともドイツという国を信じ力を尽くしながら、その国を追われていくという、信じたものに裏切ら れるという結末をたどっていますが、この物語のアムベルクの回想にみられるフォン・マルヒン男爵の姿と重なるものがあります。決してペルッツがドイツの状 況をそのままイメージしてこの物語を書いたわけではないのでしょうけれど、ナチズムというモレク神を呼び起こしてしまったドイツの状況がどうしても重なっ てしまいます。

最後、アムベルクが病院を去っていく姿は色々と解釈が分かれるところがあるとは思いますが、なんとなく吹っ切れたといいますか、憑き物が落ちたようなよう に見えます。ビビッシェの視線を感じながらも、後ろを振り返ることなくまえをむいてすすんでいくアムベルクの姿にはなんとなく明るさ、清々しさを感じさせ るものがあります。過去、夢と決別し、どこにどのように進んでいくのかはわかりませんが、次への一歩を踏み出した彼の人生に幸あらんことを。