まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

鶴島博和「バイユーの綴織(タピストリ)を読む」山川出版社

ノルマンディー公ウィリアムがブリテン島に上陸してイングランド王となる「ノルマン・コンケスト」、その出来事自体は世界史でも必ず出てきます。イギリス 史の転換点の一つであり、重要な出来事ではありますが、それと同時にこの出来事は文献史料だけでなく一つの美術作品によってもつたえられています。「ノル マン・コンケスト」を語るに際しては必ず用いられる「バイユーのタピストリ(綴織)」がそれです。

「ノルマン・コンケスト」の背景となる出来事から、実際の戦い、そして勝利まで(実際にはその先の展開も色々とあったようですが保存状態が良くなく、断片 的だとか)の様子を織物の図像として表現した作品で、戦闘場面などなどもなかなかの迫力を持って描かれているように思います。

本書では、この「バイユーの綴織」の図像とそこに書かれた文言を読み解きつつ、この出来事について言及した史料も取り上げながらそれぞれの場面の解説を加 えていきます。ロマネスク美術の代表的作品としても紹介されることがあるバイユーのタピストリですが、それぞれの場面が何を表現しているのかといったこと もこれでよくわかるとおもいます。

後半では、このタピストリが作られた背景や、制作された場所、作業に関わった人々などについての考察、そして「ノルマン・コンケスト」に至るまでのイング ランド情勢や、ドーバー海峡にまたがる海の世界で生きる人々についての考察など、タピストリの周辺情報についてまとめています。「ノルマン・コンケスト」 とはいっても、ウィリアムが率いた軍勢が実は多様な人々により構成されていたこと、ドーバー海峡で活躍する海民の存在があってこそこの出来事が実現したこ となどがまとめられており、中世史に興味のある人は面白く読めると思います。

本書をよむにあたっては、本編にあたる中央の大きな図像だけでなく、その外枠にあたる細い部分の図像にもなかなか興味深い絵が描かれていることにも注目し てほしいと思います。動物や植物の図像が多いなかに、突然熊いじめの図や狩猟の図、農作業がすこしずつ描かれていたりしますし、そしてこの細い外枠部分も 弓兵や屍体から武具を剥ぎ取る場面、多数の骸などを描きながらヘイスティングスの戦いが描かれています。枠のなかだけでなく、枠を逸脱し、取り込みながら 合戦が描かれているところが実にダイナミックです。決して写実的表現ではなく、むしろ日本の漫画やアニメを彷彿とさせる人間のプロポーションや姿勢、表現 だったりするのですが、先頭の迫力を出そうとした工夫をこのような形で表しているのかなと思いながら読みました。写実的ではなくとも、戦いの激しさが伝 わってきます。

ある特定の歴史的出来事を題材として、時系列を追って出来事が展開していく様子を描いたものというと、日本だと後三年合戦絵詞や平治物語絵巻、蒙古襲来絵 詞などの絵巻物があり、そういった絵巻物も歴史を知る上で重要な手掛かりとして活用されています。本書を通じて、「バイユーの綴織」が当時のイングランドドーバー海峡周辺世界の様子を知る手掛かりとしてどの程度使えるのか、そして、綴織と文献史料との突き合わせから何がわかるのか、そういったことがよく わかると思います。史料の書き手、美術品の発注者の意図により随分と違いが出るようです。