まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

ボフミル・フラバル「わたしは英国王に給仕した」河出書房新社

主人公ヤン・ジーチェはホテル「黄金のプラハ」給仕人見習いからスタートして、よその高級ホテルへと移りつつ金も貯め、給仕としてのスキルも積み、とうと うエチオピア皇帝ハイレ・セラシエから勲章を授けられるまでに至ります。しかしチェコスロヴァキアを取り巻く国際情勢はやがてヤンの周りにも影響を与えは じめ、それに翻弄されていきます。

ヤンの人生浮き沈みっぷりはなかなか凄い物があり、給仕見習いから、勲章をもらうほどの給仕人にまで上り詰めた後、ドイツ人リーザと恋に落ちたら周りの チェコ人たちからつまはじきにされ(職場の上司もがらっと態度が変わる)、ナチスによりチェコスロヴァキアが併合され、周りのチェコ人たちが大変な目に遭 うなかで、彼は巧みに嘘をついて(ゲルマン人だと偽った)リーザと結婚してナチスの施設で仕事をし、さらに妻がユダヤ人から奪い取った切手を売って大金を 手に入れ、それを資本として戦後ホテルを開業するも、共産党がクーデタで権力を握ったことによってそれは皆取られてしまい、最後はチェコの僻地で道路工事 人夫となるという展開をたどっています。

このような浮き沈みを見ていると、とにかく悲惨なような感じがするのですが、ナチスが絡んでくる前の部分は悲惨な話を面白く、巧みに語っていると思いま す。ヤンが務めるところに来る客および、彼の上司というのがただ者ではなく、コインをばらまく客、自室で冊を並べて数える客(後でヤンもそれをやるように なります)、一寸したことがきっかけでグレナディンなどなど液体を自ら被る女性(その描写が何ともなまめかしくエロティック)、いっていることとやってい ることが逆なあべこべ将軍、どこにいても人々を監視している(かのような)ホテル・チホタのオーナー、稼いだカネを蕩尽する給仕長ズデニェク(実はこの 人、ヤンのその後にも結構影響する人です)、そして「ホテル・パリ」で主人公の上司となるスーパー給仕長ステサーネク…、だれひとりとして“普通”の人は 一人もいません。こんな中で給仕としてのスキルを積み、上へと上がっていくのだからヤンも普通じゃないのですが。

そんな奇想天外、シュールな場面のクライマックスが、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエの晩餐会で、ここで供されたスペシャル料理のすごさは単に「うまい」 というレベルを超えています。食べた後で踊り出したり叫んだりって、どういう料理なんだか…。そんな話が、ドイツ人女性リーザとの恋のあたりから調子が変 わっていきます。段々と重苦しさを増していくような、そんなかんじです。リーザとの恋に落ちたヤンは周りから村八分状態(上司ステサーネクも冷たくなりま すし)、さらにナチスによるチェコスロヴァキア併合、第2次大戦と反ナチス勢力への激しい弾圧と、雰囲気がどんどん重くなる中、ヤンの仕事は順調ですが、 前半の明るさとかばかばかしさ、けばけばしさが消え、死の影のようなものを感じさせる場面が段々と増えていきます(ナチスの施設のドイツ人カップルの雰囲 気等々)。

そして、主人公のヤンに大きな変化が起こるのが最終章です。それまでは、少々こすい手を使ったりしつつ(ソーセージを売ったおつりをわざと渡し損ねたりす る)、とにかく金を貯めて百万長者になる、そして自分のホテルを持つということが目標であり、それは第2次大戦後に達成されます。しかしそこに至る過程 で、彼は常に傍観者のような立場に置かれ続けています。給仕人という仕事柄、あまり目立ってはいけないとは思いますが、リーザと結婚してもドイツ人は全く 相手にしてくれず、百万長者になっても他の金持ちはおろか政治家や役人(そこにはかつての上司ズデニェクが)も相手にしてくれません(ヤンの目の前で招集 状を破り捨てる場面があります)。

そんなヤンが、収容されたあたりから徐々に孤独な状態を脱していく(鳩の世話をしている辺りからその兆候が現れ始めているように思います)、そして今まで 自分が何のために生きるのかというようなことや、死について等々、それまではあまり考えてこなかったことに向き合う、そして、自分が他の誰かから必要にさ れていることに気づき、孤独から脱していく(政治家として成功したズデニェクとはそこがちがう)、その過程が描かれています。

人間には、何かをはなしているうちに考えていることがまとまったり、気持ちの整理が着くことがありますが、奇想天外なほら話のような過去を一気呵成に語る (段落分けがほとんど無い文章がそのような印象を与えていると思う)ことによって、ヤンの中でなにがしかの決着がついた、それを感じさせる終わり方でし た。いままで、今日はここまでという形で話を占めていたヤンが最終章ではこれで終わりだよという感じの締め方にしているのはそういうことかと。