まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

堀地明「清代北京の首都社会 食糧・火災・治安」九州大学出版会

清朝の首都北京、そこは皇帝や王族、官僚、八旗の構成員だけでなく多くの人が暮らす大都市です。そんな大都市でどのようにして人々に食糧を安定供給していたのか。また、洪水などの災害や都市では避けられない火災、そして犯罪の発生といった問題もあるわけですが、そのような事態にどのように対応していたのか。本書は食糧供給、火災への対応、治安維持について扱っていきます。もともとは独立した論文であり、一冊の本として一貫した何かがあるかといいうと第1部と第2部・第3部ではちょっと違う感じもします。また、扱う時代についても第1部は道光帝あたりで話が終わるのですが、第2部と第3部は20世紀まで入っています。

本書の第一部では清朝乾隆帝以降の時代を中心に、災害時の政府による救済対策から始まり、北京への食糧供給のあり方、それに伴う不正行為への対応がかかれていきます。やはり買い占めて高騰してから売ろうとする者もいたようで、それに対する対応が書かれていたり、多くの人々の食糧を賄うため南から北へと食糧を運びこみ、それを蓄えたり売りに出したりしている様子がみられますが、江戸時代の札差と武士の関係のようです。持ち込まれる米にもランクがある(質の良いものから並のものまで)ということも書かれているほか、「米」という文字を使っていますが、いわゆる雑穀も含まれることなど、当時北京に持ち込まれ,消費された穀物事情が伺えるところもあります。また、城外への持ち出しについても基本的にはアウトだけれど人が肩に担いで持ち出せるくらいは良いとしていますが、これも周辺の食糧事情が背景にあるようです。そして、「回漕」という問題が発生していますが、漕運のノルマを果たすために途中で食糧を買っているのですがその食糧は北京から持ち出されたものであり、結果として運び込む量を減少させてしまうが故に問題となっているようです。ノルマ達成が目標になってしまうことの問題を感じさせられます。

さらに第2部では北京の町で度々発生する火災についてどのように対応したのか、そして近代的な消防隊の編成がどのように進んだのかが扱われます。清朝では消防にあたる業務を八旗の兵士などももちいつつ、いっぽうで民間人による消防団「水会」も作られ、彼らにもかなり頼っている様子が窺えます。また、紫禁城の消防組織は八旗正規兵であったものを19世紀末に漢人の民間人を多く使うようになるとともに専門化・高度化していったようです。さらに、義和団事件以後に日本も関わる中で近代的な消防隊が設立されますが、そこに関わったのが川島浪速だったというのは色々とその後の歴史を考えると興味深い物があります。しかし水会が近代的な消防組織と併存する状況が続いている様子も書かれています。

そして、第3部では北京の治安維持についても扱われます。そもそも治安維持のための組織はあれど人員が常に不足している(それを改善する様子も見られない)、隣組的な保甲の制度が設けられ、どこに誰が住んでいるのかを把握しようとする一方で、調査が長期間まともに行われず放置されていたりと、支配の緩さが垣間見えます。さらに19世紀の内憂外患は北京の治安にも関わりがあり、戒厳状態になることも度々あったことがうかがえます。北京という横のつながりが希薄な大都会では、隣に誰がいるかも分からず、犯罪を防ぐのはかなり難しかったであろう様子が窺えます。そんな状況でも、民間に頼りつつ治安維持のために人を組織化し、それがあるものは近代的な警察へとつながり、あるものは断絶していくという過程が書かれています。

北京のような流動性の高い都市では保甲による住民の把握が半ば放棄されたも同然となり(何か問題が生じると把握しようと努めるが)、また把握しきれない人々は茶館や寺廟などを拠点として活動していることが書かれています。このあたりは大都会ならではの問題とも言えるのでしょうか。現代でも東京で自分の家の隣が何者なのかわからないというのは珍しいことではないですし、家がなくネットカフェで暮らすようなことは起きています。

都会のような自分が何者かを他人に知られにくいという環境は犯罪などいろいろな問題をうむいっぽうで、煩わしさを感じずに生きられる可能性もあります。当時の北京の住民の中で、他所から流入していた人々がどのような暮らしを送っていたのか,どのような思いを抱いて日々を過ごしていたのか,そのあたりについて知ることができると良いなと思いながら読んでいました。

本書では危機の際には住民同士協力し合っても、それが終わるとまたつながりが消えていくところがあるいっぽう、民間の消防組織「水会」を設立したことが北京の人々の社会的関係の構築にあたり重要な意味を持つことも示されています。都市を舞台に人々がどのような関係を作っていくのか、第2部と第3部ではそのあたりを火災は防犯への対応という点から描き出しているように感じました。また、清朝の支配の意図的・あるいは意図せざる緩みのようなものもところどころから感じられます。あえて曖昧にすることで治る部分と、それではだんだん難しくなる部分があるのでしょうか。あえて国がなんでも厳しく決めるのでなく、民間の活用(あるいは依存)によりカバーしている部分が描かれています。国と人々の関係、人々の結びつきの構築について考える手がかりの一つになりそうな本でした。