まずはこの辺は読んでみよう

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小野寺拓也・田野大輔「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」岩波書店

SNSの発達によりいろいろな人が言いたいことを言いやすい環境ができあがっていくなか、世間で言われていることとはちょっと違うことをいうと人目を引きやすいことは多いようです。とくに「〜の真実」「本当の〜」等と銘打って本を出すと、それを見てその通りと思う人も出てくるようです。様々な分野で見られる現象ではありますが、世界史関連ですとナチ党とそれに関連することはその手の事例が結構多い分野であると感じます。

本書は、"ナチスが「良いこと」をしたということで取り上げられる事例”について、実際の所それはどうだったのかを検証していきます。取り上げられる事柄は、アウトバーンフォルクスワーゲン環境政策や労働政策、少子化対策など多岐にわたります。「良いこと」に見える事柄を取り上げつつ、それの歴史的経緯、歴史的文脈、歴史的結果を掘り下げていくと言う展開になっています。文脈を無視し都合の良いところだけ切り取る、表層のみをみて大局を見ない、そのような形で歴史に関わることの問題が色々とわかるようになっています。

全体を通じて、「良いこと」の中にはナチス以前すでに行われていたが、ナチスが手柄を横取りしたもの、実際には全く実現できなかったもの、「良いこと」と引き換えに問題が発生していることなどが次々と示されています。排他的なドイツ人の「民族共同体」建設、そのための生存権確保のための周辺征服、その手段たる軍備の増強、こういったことを進めるため諸々の「良いこと」が行われている、といったところでしょうか。

そして、ナチスに関わらず広く歴史に関心のある人なら読んでおいた方がいいのはこの本の序章だと思います。序章において歴史的事実の取り扱いに関して、〈事実〉、〈解釈〉、〈意見〉の三層構造から考えていく、そしてその際に歴史学的知見の積み重ねである〈解釈〉を重視していくという姿勢が示されています。一般的に〈解釈〉の部分は往々にして無視されやすく、ある〈事実〉があったところからいきなり自分の〈意見〉の展開へと向かいやすいのですが、いきなり飛躍することのないよう気をつけたいものです(序章は8月末時点で書店のサイトで試し読み可能です)。

しかしながら〈解釈〉の部分はなかなかアプローチが難しく(汗牛充棟の様相を呈する分野もあります)、不慣れな人がやろうとすると、自分にとって都合の良いところだけつまみ食いとなりやすいでしょう。高校の歴史の新課程で「歴史総合」「世界史探究」「日本史探究」が始まっていますが、〈解釈〉の層について一般人がアプローチできるようある程度整理しておかないと、これらの科目を真面目にやろうとすればするほど不毛な意見表明に陥るという事態が発生しそうです。ある専門分野について交通整理をきちんとできるのは専門家の方々だと思います。論文などのような業績とはまたちがう事で、あまりまっとうに評価してもらえるのかというと甚だ怪しい作業はありますが是非とも各分野でやってほしいものです。

110頁ちょっとのブックレットながら、2段組で中身がつまっており、非常に充実した読書となることでしょう。