まずはこの辺は読んでみよう

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三佐川亮宏「オットー大帝ー辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ」中央公論新社(中公新書)

オットー大帝(オットー1世)というと、世界史では神聖ローマ帝国の初代皇帝と言うことでその名が出てくる人物です。レヒフェルトの戦いでマジャール人(なお、本書では自称であるマジャール人ではなく史料の記述に従いハンガリー人として表記しています)を打ち破り、その7年後にローマで皇帝位についたことが知られているかと思います。

本書はオットー1世登場以前の事柄をザクセン人の起源神話からとりあげ、カール大帝による征服とキリスト教化、そしてフランク王国の分裂と東フランクにおいてハインリヒ1世(オットーの父親)が王として支配した時代をまず扱い、その後はオットーの生涯をたどり、最終章ではオットー以後、「ドイツ」および「ドイツ人」という認識の生成と展開、「ローマ帝国」「ドイツ王国」といったまとまりがどのように使われるようになっていくのかをまとめています。最終章については、同じ著者の手によるオットー3世(1世の孫)の伝記「紀元千年の皇帝」(刀水書房)とも関連する内容となっています。

合意形成を重視しながら領域をまとめ上げた父ハインリヒ時代の「弱い」王権を継承したオットーが支配を固める過程では反乱も起こりますが、反乱を起こすのが各地の有力者だけでないところがみられます。彼が支配を固めるにさいして身内を結構登用しているのですが、彼の弟や息子といった身内が反抗することすらみられました。こうした反乱をおさえつつ、個人的結びつきに依存した国家においてオットーが巡幸王権という形で国内各地をまわり各地の人々との結びつきを確認・強化していたことや、一族郎党と並ぶもう一つの柱として帝国教会を利用していたことも示されていきます。

一方、オットーはあくまでも身内を支えとしていいこうという場面も見られます。反乱を起こした弟ハインリヒは屈服した後許されオットーに良く仕えるようになりますし、反乱を起こしたリウドルフに対しても挽回の機会を与えています。反逆即死刑という対応でなくこのような対応となるのは何故なのか、それについてはハインリヒ、リウドルフがともに示した服従儀礼によりひとまずオットーに許されたということのようです。

先に触れた巡幸王権というありかた、服従儀礼による許し、そして儀礼や身振り、象徴、演出をもちいて公的な場で示すことが利害調整に関して用いられる(その前段階で密室での合意形成や調整がある)、オットーの時代は公の場でそこに集う人々の関係性を明示することが支配の安定に役立つ時代だったということでしょうか。今の人間からすると儀礼に何の価値があるのかと思うかもしれないのですが、あるべき秩序を想起させ支配を安定させる手段としてこの時代は極めて有効だったのでしょう。

なお、身内というと男性ばかりと思われがちですが,オットー朝において女性がかなり重要な役割を果たしていたことが分かる箇所が何カ所か見られます。この時代に女性が活躍していたこと、しかしながら女性について本書で十分に触れることが出来なかったのは著者もあとがきで言及していますが、これに関してはこの時代を扱った別の著作が紹介されており(パトリック・コルベ「オットー朝皇帝一族における家族関係」参照)、そこを見ると良いのかなと思います。

対外的なことでは東方から侵攻してくるマジャール人ハンガリー人)との戦いや魑魅魍魎のごとき王侯貴族や聖職者が跋扈し複雑怪奇な情勢を呈するイタリアへの度重なる遠征、スラヴ人世界との戦いやキリスト教の布教、治世も終わりにさしかかった頃イタリア問題と関連して発生したビザンツ帝国との交渉と言うことも触れられています。レヒフェルトの戦いの勝利がオットーを事実上皇帝たらしめる大きな要因であったと認識されていたらしいことがうかがえたり、なんとも複雑でオットーも手を焼く一筋縄ではいかないイタリアの情勢、そしてイスラム世界やビザンツ帝国との交渉の様子が描かれています。

ビザンツイスラム世界などの対外交渉の場面で聖職者が活躍しており、その中にはその後歴史叙述を残す者もいたりします。本書では「オットー朝ルネサンス」の様子などは残念ながらそれ程触れられていません。しかし、随所に歴史叙述の翻訳からの引用を載せ、それらをとりあげつつ時代の年代記や歴史書を書いた人々がキリスト教や西洋古典の知識に裏打ちされた叙述や歴史認識をもっていたこと、彼らの叙述の意図や特徴といったことへの言及が本書の中に見られます。「そもそも過去は”現在”にとっていかにあるべきか」という認識のもと、現在に合わせて過去を書き換える、そのように感じられる場面が戴冠式やレヒフェルトの勝利などの場面でみられますが、過去をどう認識し、どのように描くのか、時代による違いを感じつつ歴史叙述のあり方の変化に思いをはせるのもまた一興というところでしょう。

反乱、遠征、外敵迎撃と常に戦いの中に身を置き、東方のキリスト教化にとり組み、さらには支配安定のために各地を回るという非常に過酷な治世をとおして後の神聖ローマ帝国の基礎を築き上げたオットー1世の生涯を描いた一冊として,広く読まれることを願います。