まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

小嶋茂稔「光武帝」山川出版社(世界史リブレット人)

世界史リブレット人の新刊は後漢の建国者、光武帝こと劉秀をあつかいます。日本史,中学歴史で奴国の使者がやってきたときに「漢委奴国王」印を授けた皇帝として光武帝(劉秀)は登場するので,どこかで名前は聞いた、習ったという人がほとんどのはずです。なお、金印については寸法が当時の1寸と正確にあうことなどから、後漢の工房で作られた真印であるという通説を採用しています。

本書では、劉秀の生涯をたどりつつ、彼がどのような背景を持つ人物であったのか、彼がどのようにして新から後漢に至る時代にいき、後漢の成立と天下統一を如何に成し遂げたのか、そして後漢の国家体制や対外関係をどのように整備したのか、これらの事柄をコンパクトにまとめていきます。

まず、後漢というと前漢後半より続く豪族台頭の流れの中、皇帝と豪族の連合政権的な性格を持つ王朝として位置づけることが多いです。劉秀自身もそのような豪族層の出身であり、群雄割拠の時代にライバル(彼らを見ると、王莽の時代以降、地方長官の地位を利用しつつ地方で自立し,事態を静観しながら勢力を拡大・維持していた者が多い模様です)を倒しながら統一を達成しています。

そして統一後の支配からは豪族の私利私欲追求を抑えつつ農民達への圧迫を緩和するといった姿勢は十分に見られます。後漢初期は民情が安定したというのもこのような対応の影響でしょう。なお、劉秀による統一に際し、建国の功臣として「雲台二十八将」がよくでてきますが、彼らは統一後は重職についた者はほんのわずかであるということが指摘されています。功臣をあえて重用せず彼らに力を持たせないようにしたのか、それとも功臣達がしくじることでそれまで築いてきた者を失わせたくないと思ったのかは定かではありません。ただ、政治的配慮と個人的配慮どちらもあったようにも思えます。

さらに後漢を王莽によりいったん完成した「古典国制」を継承する形で漢の復興を進めたという指摘も為されています。「古典国制」の構成要素は多岐にわたりますが、本書では宰相の地位に関する「三公」制と地方支配に関する「十二州牧」制について、三公の地位低下や州牧あらため刺史への変化と支配体制整備の関係を扱っています。前漢末から見られた「古典国制」と「漢家故事」の路線の対立という背景のもとどのような国家体制の整備を進めたのかを一部の点から見ていく感じです。

そして、儒教の国教化と言うことが後漢ではよく出てきますが、劉秀もまた王莽同様讖緯思想を重視していたことが指摘されます。讖緯思想の影響を受けていたのは彼だけではなく、当時の群雄たちの多くに見られる現象であることも触れられています。

その他、対外関係についてもまとめられていますが、光武帝の時代は内政に重きが置かれてはいますがそれなりに他国との関係もあったことが触れられています。そして、奴国の使節がやってきたことについて、朝鮮半島楽浪郡と何らかの形で関係を持っていた北九州諸国のなかで、奴国の支配者が周辺諸国に対し有利な地位に立つために後漢に使者を送ったというのが一般的な理解かとおもいます。

奴国の朝貢に関して、別の視点から見た説も紹介しています。それによると中国内部での慶事(北郊完成の慶事)にあわせ、楽浪郡の役人が奴国に朝貢を促したというものであるという、役人の権力者に対する「忖度」の結果ということになります。朝貢は皇帝の統治がうまくいっていることを示す有効な手段の一つというところでしょうか。

光武帝の生涯をまとめた本自体が貴重だとおもいますし、近年の研究動向を盛りこみながらまとめられており、このあたりについて関心がある人にはまず読んでみて欲しいと思う一冊です。