まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

パット・バーカー(北村みちよ訳)「女たちの沈黙」早川書房

(1月に読んだ本ですが、感想書くのが遅くなりました)

ホメロストロイア戦争を題材とした叙事詩イリアス』『オデュッセイア』というと西洋の古典文学としてその名前が真っ先に挙がるものであると思います。イリアスについてはトロイア戦争最後の1年のそのまた限られた期間の戦いと生と死を扱う作品であり、アキレウスなど英雄達の戦いぶりが書かれています。

本書はトロイア戦争の物語をブリセイスという一女性の視点から読み替えていく内容となっています。「イリアス」でアキレウスが捕虜とし、アガメムノンが彼女を取り上げたことで腹を立てたアキレウスが引きこもったという事でその名が登場します。アキレウスの戦線離脱以後のギリシア軍の苦戦、パトロクロスの出陣と死からのアキレウスの戦線復帰とヘクトル殺害、そしてプリアモスへの遺体引き渡しと葬儀という「イリアス」の展開に大きく影響を与えた女性ですが、それだけという存在になっています。

しかし本書ではアキレウスの軍勢に敗れ捕虜となり、その後ギリシア軍の陣営で戦利品として連れてこられたほかの女性たちとアキレウスパトロクロスなどの陣営で日々を過ごす彼女の目を通じて、「イリアス」の世界が改めて語り直されることになります。もとの物語の世界では全く声を与えられていない女性たちの視点からトロイア戦争が語られ、従来描かれてこなかった面が色々と書かれていきます。

ある出来事を物語るとき、どの視点から語るのかにより、違う事柄に焦点が当てられることはよくあることです。本書では、例えばアキレウスが人間の父親と神の母親の間に生まれ、少年時代に母親と離れ、それゆえに抱える色々な苦悩がブリセイスの目を通して描かれていたりします。また、戦時下の女性たちの姿が描かれるというのも戦争を違うところから見た場合にはかけることでしょう。

古典的作品を違う視点から読み直して書き直すということは、最近翻訳される海外作品でしばしば見かけることがあります。特に、古典的作品では無視されがちな女性の登場人物の視点から読み替えていくというパターンも結構見かけます。ル=グウィン「ラウィーニア」やミラー「キルケ」などはそういう事例でしょうか。本書には続編もあるようなので、そちらも是非翻訳が出ることを願っています。