まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

ニー・ヴォ(金子ゆき子訳)「塩と運命の皇后」集英社(集英社文庫)

昨年度の色々な人のベスト本を見ているとき、複数の方が挙げている本はどんな感じなんだろうと思って手に取ることがあります。これもそのような形で手に取ってみた本ですが、2本の長編が納められていました。執筆歴はそれ程長くないようですが、評価も高いようで期待しながら読んでみましたが、これが当たりでした。

2本共通の主人公が歴史収集の旅をする聖職者ということで、各地を回り人々の話を聞いたりしながら記録を書き残していくという人物のようです。この主人公がある湖の畔で出会った老女、かつてこの地に送られ幽閉された皇后の侍女だったという人物から聞いた、皇后とその後の歴史にまつわる話を描いたのが表題作「塩と運命の皇后」、主人公が北方を旅しているときに人に化けられるトラたちに遭遇し、過去にいたあるトラとある女性の物語を主人公と虎たちの視点両方から語る「虎が山から下りるとき」、この2本立てとなっています。

表題作は中国と北方世界のようでいてちょっと違うような世界を舞台として、皇后に仕えた侍女だという老女の屋敷に収蔵されている品々を記録する傍ら,彼女が語る皇后の真実について主人公が耳を傾けるという展開となっています。様々な品とそれにまつわる話、そして幽閉された皇后が周囲の目を欺きつつ密かに進めた復讐計画とその後の出来事の真実が語られていきます。

次の作品は主人公が人語を解し人の姿に変わることも出来る虎3頭に喰われそうと言う危機的状況で自分が知っているある虎と女学生の恋愛話について語るという、「千夜一夜物語」のようなシチュエーションのもとで展開される話です。こちらは主人公が物語を語るのですが、虎たちのほうからそれは違うと別の話が語られる場面もでてきます。主人公が聞き取る、あるいは語る物語において主人公は女性で、色々と有る事無い事付け加えられたり、実際とは何か違う姿で語り継がれたりするようなところがありますが、流されるだけのかわいそうな存在ではなく、いろいろな習慣やルールに縛られず生きる姿が描かれています。

本書を読んでいて、ある出来事を正確に記録し語り伝えようとすること、そして正しく語り残そうとすることに対し妨害や修正が図られること、一方である出来事についての語りが一つでなく様々な形で伝えられていくことなど、歴史を学んだことのある人がどこかで遭遇する事柄が扱われているなと感じました。

表題作では歴史収集、記録を任務とする聖職者が連れている一字一句正確に記録するために育成されたヤツガシラがいるのですが、帝国政府がそのヤツガシラを断絶させてしまおうとしたことがあったという話が序盤で出てきます。後半の作品では主人公が語る虎と女学生の恋愛話に対して虎たちの方から度々それは違う、自分たちの知っている話こそ正しく、それをきちんと語れと迫られるような場面が度々現れます。特に後半の話では虎の機嫌を損ねれば喰われてしまうという状況ということもあり、主人公もそれに合わせて話を語りながらなんとか危機を凌いでいるという感じで話が進んでいます。果たして如何に振る舞えば良いのか色々と悩むところではないかと思います。言うは易し、行うは難し。

そして、本書において印象深いのが「男」「女」「人」「人でないもの」「ちゅうしんてきなもの」「周縁」といった様々な事柄の境界が簡単に越えられ、それも特殊なことを強調するよう感じでなく、いたって自然に描かれているところでしょうか。文明世界の「美の基準」からは外れるが力強さを感じさせる描写で描かれる皇后や虎の女王、マンモス乗りの偵察隊員として活躍する女性といったものが普通に出てきていますし、狐が人に化けていたり、虎が人の姿に変わる、誰かを愛するのに性別の違いは全く関係なく愛を交わし、あまつさえ人と異類の間の恋愛も展開されています。そもそも主人公も男女の括りを超えているような感じ(原著では主人公の三人称単数形はTheyで表現されるそうです)、そう言う世界です。

自分の中で「当たり前」と思っていることと違う世界が描かれるとなると、そこに引っかかって読みにくくなることもあるのですが、そのような違和感や引っ掛かりを感じることなく読み進めることができました。この辺りは、まさに今の時代だからこそかけると言う感じでしょか。このほかの作品も出たら読んでみたいと思うものにであえました。