まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

ユーディト・W・タシュラー(浅井晶子訳)「国語教師」集英社

作家のクサヴァー・ザントは高校のワークショップの担当者である国語教師と連絡をとりました。そして元恋人マティルダが担当の国語教師であることを知ったクサヴァーはワークショップの相談をするべきところで昔を懐かしんで関係ない話を展開し始めます。それに対しマティルダはかなり冷めた対応をとっていました。

それもそのはず、マティルダは元恋人とはいえ、人生観の相違などが原因で16年前、クサヴァーが捨てるような形で別れたという経緯があったためでした。子供が欲しいマティルダと、子供を全力で拒否(頑なに避妊を続けます)するクサヴァーという関係であり、そういう対応になるのも当然でしょう。

その辺りで色々とやり取りがありつつも、結局ワークショップは行われることになり、2人は再会します。そして本書は2人の間で交わされる会話、メールと、彼ら2人の過去にまつわる話、そして彼らがそれぞれに語る物語が組み合わさって展開します。クサヴァーは自分の祖父をモデルにした物語を、マティルダは女が若い男を監禁する話を語っていくのですが、その過程でクサヴァーが過去に経験した悲惨な出来事(マティルダと別の女性との間の子供が行方不明になる)に関する話が語られるのですが、彼らの過去や、彼らの「物語」が積み重なる中、それに関する真相が明らかになっていくのです。

クサヴァーが経験した過去の悲惨な事件について、途中で読者をミスリードするような展開が挟み込まれています。マティルダの嫉妬にも似た思いに駆られる場面、警察におけるクサヴァーの語りなどなど、これは捨てられた女による復讐譚なのかと思わせる展開があるのですが、この物語で語られる事件の真相は、それとまた違うものであることが終盤で明らかになります。この終盤に至るまでの流れを見てると、なぜか「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」という歌を思い出してしまいました。愛の形は様々、この二人のような関係も有りなのでしょう、きっと。

女と付き合う理由の一つが、人の人生の物語を聞くのが面白いから、物語を聞くのが好きだからと言うクサヴァー、二人が互いに語る物語、そして過去に関してクサヴァーが作り上げた偽りの物語等々、様々な物語が組み合わさって、一つの物語が形成されているような印象を受けました。また、人が生きるうえで物語のもつ力がよくも悪くも様々な影響を与えていくということも感じられる一冊でした。