まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

マーガレット・ミッチェル(鴻巣友季子訳)「風と共に去りぬ(全5巻)」新潮社(新潮文庫)

アメリカ南部で綿花を栽培する大農園〈タラ〉に生まれたスカーレット・オハラは16歳。若さと美しさと激しい気性をもち、あまたの男に言い寄られるように仕向ける術をもっています。しかし、彼女が出会ったその日から想いを寄せるのはアシュリひとり。そんなアシュリがスカーレットからみて正直パッとしない(ただし、結構似たところはあるし、とで通じ合うところも出てきます)メラニーと結婚するという話を聞きます。

この知らせを聞いたスカーレットはアシュリに対する当てつけのごとく、メラニーの兄と突如結婚したのも束の間、南北戦争が勃発し、南部の若者たちも兵士として戦うことになるとともに、スカーレットもまた歴史のうねりに放り込まれることになります。これがスカーレットの波乱に満ちた半生の始まりとなるのでした。

主要人物は主人公スカーレットのほか、彼女の憧れの相手で「品行方正な南部紳士」だが本や芸術を愛し周りの人たちとはちょっと違う(そしてスカーレットにもその辺は理解できない)アシュリ、そのアシュリと結婚したスカーレットの視点では極めて地味でつまらないように見えるが、実のところスカーレットと相通じるものを持ち、なおかつ周囲の状況をうまくコントロールしてしまうこの物語世界の影の主役と言っていいメラニー、そして怪しげな商売に色々と手を出し、南部社会の規範や常識などほとんど気にせず振る舞い、何かとスカーレットにちょっかいを出してくるレット・バトラーの3人です。

彼ら3人を見ていると、レットのスカーレットに対する振る舞いはヒロインに何かとキツくあたるけれど実は彼女のことが好きな男という物語世界によく登場する設定の人物によくある振る舞いです(実際、スカーレットが自分に好意を持つ相手を思うように操れる人なので、あえてきつく当たっていた感じがします)。そんな彼が、終盤に子煩悩パパになっているというところがなんとも面白いですね(それも、スカーレットとの関係で色々あったためなのですが)。

一見人畜無害そうに見えるけれど、言いたいことを言い、我を通し、自分を中心とする世界を巧みに作っていくメラニーみたいなタイプは物語世界でも現実でもしばしば見かける人物造形です。あと、白馬の王子様然とした雰囲気で、実務能力は正直なところないアシュリみたいな人もしばしば見られます。なんというか、既視感のある登場人物たちを配したことで、読者は物語の世界に入っていきやすくなっているように思います。やたらと複雑な設定の人物を大量に登場させると、それを理解しようとするだけで相当消耗してしまいますから。

そして、主人公スカーレットですが、正直なところ性格はかなりきつい、というか性格は相当悪い方だろうと思います。しかし世間の規範にとらわれず、自分がやりたいと思うことを追求する生き方を貫くところに共感を覚える人も多いかと思います。南北戦争によりそれまでの世界、価値観が一変するなか一所懸命の地〈タラ〉を守り身近な人々を飢えさせないという自覚が芽生えた時、単なる自己中と違う何かに成長したような感じがします。

本書については、それまでとルールが一変した世界で、アシュリを含め多くの南部人が途方にくれるなか、自分の力で道を切り開いていくスカーレットの成長物語のような楽しみ方もできるのではないでしょうか。また、スカーレットにたいして作者が所々でツッコミを入れるかのごとき叙述が見られ、それによって彼女のアクの強さがやや緩和されているようにも思います。あの部分がないと、相当読んでいて消耗するのではないでしょうか。

ただ、この物語はこの主要4人だけでなく、彼らを取り巻く人々と彼らが生きた時代と社会の様子も巧みに描き出していると思います。彼ら4人は南部の上流階級の人々ですが、プア・ホワイト(あるいはホワイト・トラッシュ)とよばれる貧しい白人たちも登場し、物語の展開に関わっていく(スカーレットを支えるウィルなど)場面が見られますし、再建期の南部を闊歩する北部人たちや彼らと近い立場の南部人たちのふるまいは、まさに「金ぴか時代」を反映しているようでもあります。

そして、南部というと黒人奴隷の話になりますが、本書について黒人に対し差別的であるという評価がなされることがあります。またクー・クラックス・クランにかんする描写が問題視されることもありますし、作者自身が人種差別主義者だとする主張も散見されます。この辺りは、白人のそれも上流階級の視点から南北戦争直前と再建期を描き出したためでしょうか。現在も、この本をめぐっては人種差別的という指摘がなされるというのも致し方ないところでしょうし、色々と物議をかもすところはあるようです(数年前、毎年恒例となっていた本作の映画上映を今後は行わないことにしたというアメリカのある町のニュースがありました)。南部の描写をめぐる問題については、作者が執筆にあたって参考にしたものが南部婦人の手記や体験記だったということも関係あるかもしれません。ただ、読んでいると作者が単純に南部礼賛をしているかというとそう簡単ではないと思いますが。

上記のようなところで引っかかりを覚えるところもありますが、ある一つの世界が失われていく中、それでもたくましく生きていく女性の物語として非常に面白く読めました。文庫本で5冊あり、かなり長いにもかかわらず、一気に読みきれたのは物語の展開、叙述の力によるところもあるかもしれません。