まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

マイケル・ワート(野口良平訳)「明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史」みすず書房

小栗上野介というと、幕末の志士を扱った物語では幕府側官僚として敵役のような扱いをされたり、悪役のような描かれ方をすることが多かったようです。また近代史を扱う本では、フランスに借款をして何とかしようとしたと言うことから売国の臣として描き、同じ幕府の官僚でも勝海舟と対立する存在として否定的に見られたりしてきました。

一方で、彼が横須賀製鉄所を建設し、それが後に大日本帝国海軍のために大いに役立つことになったことや、株式会社の設立を行ったことなど、近代日本に極めて大きな影響を与えた存在としても見られています。近年の動向としては、どちらかというと彼のはたした役割のプラスの面が強調されるような傾向も見られるようになってきています。

しかし、西郷隆盛坂本龍馬勝海舟といった人々と比べるといささか目立たない小栗上野介が、今では学校の日本史教科書にも一部掲載されるようになったり、群馬県の観光資源として活用されるようになっていったのはなぜなのか。本書の著者は明治から現代に至るまでの小栗上野介についての語りや顕彰、小栗にまつわる諸々の話題を取り上げながら、彼が日本の歴史においてそれなりの一を占める存在になっていく過程を描き出していきます。

小栗上野介明治維新をへてできあがった政府が描き出す「正史」においては倒される悪役、逆賊としてえがかれてきています。しかし彼について、早くも明治時代から顕彰しよう、再評価しようという話が出始めており、正史に抗う動きがはやくから起きてきたことが本書で示されています。地方での小栗顕彰のうごきが全国的な歴史観に影響をあたえるに至る過程が、史料として残されているものから文学や映画、はてはテレビ番組までとりあげながら論じられています。

小栗が日本の歴史を語るにあたり、それなりの位置を占めるようになる過程では、地方において小栗にまつわる記憶や記録を遺し伝えてきた人々の活動が重要な意味を持っていたこともわかります。こうした活動に従事した「メモリー・アクティビスト」たちの努力はそれなりに身を結び、明治政府への逆賊という扱いをされていた小栗が日本近代化の立役者としてクローズアップされ、評判はさておきテレビドラマ化、漫画化がなされたり一部の歴史教科書にも掲載される(コラム的なところのようですが)などをみていると、日本近現代史において語り継ぐべき人物として認知させることに一定のレベルでは成功したと言えるでしょう。日本近現代史における影響力を考えた時に、司馬遼太郎の小栗に関する評価が大きく変わっているところからも伺えるかなと思います。

それとともに、誰が歴史を語るのかということも考えさせられる内容が含まれています。「メモリー・アクティビスト」どうしの競合がおこったとき、だれが記憶を語り継ぐのかということは避けて通れない問題になるようです。小栗を顕彰する活動は現在は小栗最期の地となった群馬県の東善寺が中心となっていますが、戦前は小栗家の菩提寺である埼玉県の普門院のほうが活発であったということが本書で語られています。しかし今手にとって読むことができる小栗関係の本では、東善寺が果たした役割の大きさはわかるのですが、普門院にかんしてはどうも抜け落ちているようなところがあります。

ある正当な歴史の見方が存在し、そこから排除されたり否定された「敗者」の歴史を扱うにあたり、誰がどのようにして歴史的過去について語るのか、過去の歴史がどのようにして語り継ぎ、保存し、広めていくのかといったことに気を配ることの重要性を、小栗上野介という人物についての記憶や語りを通してまとめた本であり、なかなか面白い一冊でした。