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エリザベス・ドネリー・カーニー(森谷公俊訳)「アルシノエ二世 ヘレニズム時代の王族女性と結婚」白水社

マケドニア史やヘレニズム時代に関する本は日本ではそれほど多く出されてはいませんが、英語文献など海外では結構な数の書籍が出されています。そうは言っても、やはりアレクサンドロス大王関連が多いようにも感じられますが、大王以前の王国を扱ったり、大王以後の時代のことや、後継者戦争で登場する武将の伝記なども見られます。

そんな中で、ここ20年くらいの間に、女性たちの歴史にも焦点が当てられるようになってきています。その中心にいるのが著者のカーニーです。マケドニア王国の一夫多妻などの構造を解き明かしたり、積極的にこの分野の研究成果を世に問いつづけていますが、その著者の本がようやく邦訳されました。扱われているのはアルシノエ2世、多くの人たちはいったい誰かわからないとおもいますが、波乱万丈の生涯を送った女性です。

章立ては彼女の生涯を順にたどる構成になり、死後の彼女に対する評価までを扱い、彼女に関する史料をめぐる問題も論じていきます。彼女に関する文献史料は非常に少なく、また誇張や潤色が多いなど色々と扱いが難しいところがあるうえ、それ以外に使える資料もそれほど多くありません。序章で、彼女の生涯を辿るのは、断片的な情報(噂やら香水の香りなど)があるが本人にはなかなか会えないという、大規模なパーティで人に会おうとする難しさと似ていると書いていますが、果たしてどのようにして彼女に迫っていくのか。

著者は慎重に残された史料の記述や遺物を扱いながら、一夫多妻、兄弟姉妹婚、君主崇拝といったテーマに迫っていきます。そして、アルシノエの生涯をプトレマイオス朝の歴史としてだけでなく、それ以前のマケドニア王国、後継者戦争の時代の文脈の中において考えていくような本になっています。そのなかで、彼女を王位継承をめぐる暗闘の中で生きた悪女や悲劇のヒロイン、傑出した能力を持つ政治的天才といった形で無闇矢鱈と強調して描くことはしていません。

まず、本書を読んでいてわかることは一夫多妻が宮廷で暮らす者にどんな影響を与えるのかというところでしょうか。一夫多妻を実践していたマケドニア王国および後継者諸国では、母子ユニットとでもいうべき王族女性と子供達の組み合わせが形成され、彼女たちが生き残るには、宮廷で主導権を握り子供を後継者とするしかないことが描かれています。そして、そうなれなかったものたちは殺されるか追放されるか、あるいは自ら亡命するかという過酷な環境にあったことがわかります。

このような環境に幼き頃から身を置き続けたアルシノエがリュシマコスと結婚し子供を作ったあと、自らの生き残りと自らの子の王位継承のため悪戦苦闘を繰り広げた様子、心理的な葛藤を可能な限り描き出していきます。リュシマコスプトレマイオス・ケラウノスと結婚した彼女はこの闘争における加害者でもあり、被害者でもあると言えるでしょう。そして、一夫多妻からの流れでいうと、プトレマイオス・ケラウノスがアルシノエと交わした条件にも他の妻を娶り彼女を侮辱しないということがふくまれているというところを見ると、一夫多妻は妻と子供にとっては相当過酷な環境であったのだろうということが想像できます。

また、プトレマイオス王家が族内婚を選択した嚆矢であるアルシノエとプトレマイオス2世の結婚についても、ギリシアマケドニア系の人々の反応は当初は反発も強かったものの徐々に和らいだであろうこと、一夫多妻の問題解決の手段であるとともに、プトレマイオス朝の独特な王朝イメージづくりと関係があること、アルシノエにとっては2度目の兄弟姉妹婚(プトレマイオス・ケラウノスは異母兄弟ですが)となるこの結婚が彼女の生存戦略の一環であることなどが示されていきます。

そして、王妃としてのアルシノエについての分析をみると、まず、彼女も「友人(フィロイ)」をもっていたり、公的な祭祀に姿を見せていたことがわかります。国際関係や軍事に関する彼女の立場をそれ以前の王族女性(オリュンピアスやエウリュディケ)とどう違うのかを比べて見たり、エジプトにおける王族女性の軍事や国際関係に対する関わりを検討していきます。彼女が軍事に関わったのが夫存命中であり、夫が能動的に活動できる時期だったというところに大きな違いがあること、対外関係についても独自の政策を王族女性はとっているが、アルシノエの場合、クレモニデス戦争の開始についてアテネで残された決議碑文から、夫であり弟のプトレマイオス2世の対外政策と協調するようなものであり、プトレマイオス朝の夫婦一対の王権として彼女の権力も王権の一部として組み込まれている様子がうかがえることが指摘されています。

なお、クレモニデスの決議碑文の文面から、女性が公的な場面で活躍することについて、アテネではそういったものがかつては認められていなかったのが、紀元前3世紀前半になると女性が公的な政策を持っていることを認めるような動きが見られるようです。このあたりは王政国家に対する対応なのか、はたまた考え方の変化なのか、興味深いところです。

そして、クレモニデス戦争についてのシンボル的存在として、戦争の時代にはすでに亡くなっていたアルシノエがシンボルのような扱われ方をしていたことが、多数の港湾が彼女に因んで名付けられたことや、スパルタでのアルシノエの祭祀実施などからうかがえると言うところも面白い指摘だと思います。なお、彼女は数々の祭祀や芸術の庇護者として振る舞っていたことが知られていますが、自分たちの親の神格化を行なったのみならず姉弟神の祭祀という君主崇拝の開始にも関わっているようです。

なお、本書で彼女がエジプト人アレクサンドリアの住民から人気があったらしいということも述べられており、それは彼女の王妃になるまでの来歴が人々の関心を引き、主によそからの移民であるアレクサンドリア住民にとって自分自身と重ねやすかったためではないかというところは、新しい時代のアイコンとしてアルシノエがぴったりハマったというところでしょうか。

死後も彼女の名を冠した都市が作られていたりコインや美術作品にその姿残され、文学でも扱われていたりと存在感を放っていたアルシノエが消えていくのは、最後のプトレマイオス朝の王クレオパトラの強烈なイメージに人々が支配されるようになる中、古代以降は存在が知られなくなり、現代もそれは大して変わっていません。しかし、王家の一体化、2人で一つという夫婦一対の統合された王権、そして君主崇拝、こうしたものの始まりに関わったアルシノエはまさに“クレオパトラの先駆者”と呼ぶにふさわしいと思います。そしてギリシア的なもの、マケドニア的なもの、エジプト的なものが合わさってこれらのものが出来上がる様子を見ていると、彼女の生涯はまさにヘレニズム世界の形成を見ているような感じがします。非常に面白い一冊です。