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森谷公俊「アレクサンドロスとオリュンピアス 大王の母、光輝と波乱の生涯」筑摩書房(ちくま学芸文庫)

古代マケドニアというとアレクサンドロス大王についての研究が多かったものの、やがてマケドニア王国の政治や社会、そしてアレクサンドロス以外の人々につ いても研究が進んでいます。本書ではアレクサンドロス関係の多くの著作を残している森谷公俊先生が10年以上前に書いた「王妃オリュンピアス」(ちくま新 書)の文庫化です。以前新書で出たときは、題材が世間的にあまりなじみがなかったのか、結局絶版になり、長らく入手困難になっていました。今回、参考文献 表を大幅にアップデートし、別のマケドニア史研究者(澤田典子先生)の解説も追加したうえで文庫化されました。

マケドニア史においても女性史研究という分野はあり、一般女性については知る術がないなかで、比較的史料が残されている王族女性にかんする研究が蓄積され ています。王族女性に関して、王妃オリュンピアスにかんする史料は比較的多く残されています。しかしその史料にもフィリッポス2世の暗殺に関与し、後継者 戦争の最中には王族女性やマケドニア人貴族を殺害した悪女というオリュンピアスの描き方のほか、書き手の価値観をもとにマケドニア王国の社会や宮廷につい て描かれているなど、問題が数多くあります。

本書では、そういった史料のバイアスを一つ一つ解きほぐし、オリュンピアスの生涯をたどります。その他にマケドニア王家における一夫多妻のあり方や、マケ ドニア王国やモロッソイ王国といったバルカン半島の国々でもギリシア文化の摂取、ギリシア世界への接近を進める必要があったことなどがまとめられていた り、フィリッポス2世の暗殺やヴェルギナ王墓の被葬者についての考察がなされているなど、単なる伝記にとどまらない作りとなっています。マケドニア王国の 成り立ちや大まかな歴史のほかには、「ヒストリエ」の主人公エウメネスが活躍することになる後継者戦争の時代についてもまとまった記述があります。

紀元前4世紀のマケドニア王国というと、フィリッポス2世アレクサンドロス大王の2人が圧倒的な存在感を放っていますが、オリュンピアスも彼らに劣らぬ 存在感を放っています。しかし、彼女だけでなく、マケドニア王家に関わった女性達には実に強烈な存在感を放っている人達がいます。嫁ぎ先のモロッソイの統 治に関わりながら支配者としての資質を身につけ、後継者戦争の最中には王族の血筋を最大限活用し、生き残りをかけたクレオパトラ(大王の妹)、「軍人王 妃」として軍を掌握し、知的障害者の夫にかわり自ら支配権を握ろうとしたような感のあるエウリュディケと彼女をそのように育て上げたキュンナ、アレクサン ドロスと結婚したロクサネ…。

このような、強烈な個性と存在感を放つ人々が立て続けに現れ、王族の女性も持てる力を発揮し、いかせそうな機会は最大限活用していたこの時代はまさに「祭 り」のようでもあり、そしてヘレニズム諸王国の分立が確立しマケドニアにも新しい王朝ができる頃には、王族女性達がめだつことはほとんどなくなってしまう ところは、祭りの後の静けさのようです。本書はマケドニアやモロッソイについての話が展開される前半部分も面白かったのですが、こういった王族女性の群像 劇が展開される後半部分はさらに面白かったです。

読んでいて、ふと想像してみたくなったことが一つあります。もしオリュンピアスについてテオポンポスが何かしら書いていたとしたならば、どのように彼女の 姿を描いたのでしょう。紀元前4世紀後半、フィリッポス2世と同時代を生き、マケドニア宮廷にいたこともある歴史家テオポンポスは著書「フィリッポス史」 においてヨーロッパに未だかつてこんな男はいなかったというようにフィリッポス2世について語っています。彼の著作は断片しか残っていないのですが、彼の フィリッポスおよびマケドニアについての書きっぷりからすると悪女イメージを増幅したような物になりそうな気もしますが、激しくきつい表現の裏に何を書こ うとしていたのか非常に興味深いものがあります。

ちなみに発売直後の帯には、「ヒストリエ」の岩明均先生の絵と恐らく本人の物であると思われるコメントが付いてます。「容貌(かお)はたぶん恐ろしい。そ してきっと美しい」というコメントがつけられていますが、はたして漫画の方ではこれからどういう風に描かれることになるのでしょうか。あと、本筋とは全く 関係ないのですが、オリュンピアスの本がでたのだから、ここまできたら、やはりフィリッポス2世の本も出して欲しいと思うのは私だけでしょうか。解説担当 の方の専門はそちだったはずですし。

もう一つ、話の本筋と外れるのですが、著者の文献紹介におけるコメントと、解説者のコメントでずれがあるのが、映画「アレキサンダー」のオリュンピアスに ついてのとらえ方です。アンジェリーナ・ジョリーが映画ではオリュンピアスを演じていましたが、これをどう見るかと言うことで違いがあり、これは人それぞ れで見方が違うんだなあと読んでいて納得しました。ちなみに私個人としてはアンジーでオッケーだと思っています。