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佐藤文俊「李自成」山川出版社(世界史リブレット人)

明末に出現した流賊たちのなかから台頭して明を滅ぼし、一瞬ではありますが大順王朝を樹立した李自成の伝記が出ました。李自成だけで1冊の本が出るとは 思ってもいませんでしたが、内容としてはまず明の大まかな説明、李自成を生み出した陝西北部の状況、流賊の出現、李自成の流賊参加と明との戦い、そして明 を滅ぼし王朝を樹立するまでの過程と人生の暗転といった事が扱われています。李自成の現代における評価は状況によって様々に変わっていますが、どのような 人だったのでしょう。

李自成などの流賊の集団についての説明が結構詳しく、戦闘員だけではなく、その家族等々も含めた一つの集団が形成されていたことはなかなか興味深いものが あります。過酷な状況で生きるために集まった人々が、一つの集団としてそれなりにまとまりをつくりあげ、一つの移動する社会のようなものを作り上げていた ようです。「アナバシス」のギリシア人傭兵やドイツの傭兵(ランツクネヒト)などとちょっと似たような雰囲気も感じます。

また、かつては古代世界の中心地であった関中の周辺地域がこの時代には農業生産力も低下し、すっかり遅れた世界になりはてているという様子をみていると、 まるで沿岸部の繁栄と内陸部の停滞という現代中国のような状況がこの時代に発生しているように見えてきます。確かに明の時代の後半は交易の活発化と銀の流 通ということが世界史でも出てきますし、活況を呈した時代というようなとらえ方もあります。

明の時代には確かにそういう場所もありましたが、それとは全く縁もない、むしろ交易活発化の過程で満洲族が台頭した結果、これらの地域は臨時税の負担が重 くのしかかり、また兵員も出さねばならなくなるなど換えって大変な状況に陥っていた事がよく分かります。トウモロコシって、いつ頃からこの地域に広まった んでしょう。時期的には確かに入ってきていると思いますが、普及するのはまた違うでしょうし。

李自成の勢力は明を滅ぼし、一瞬新しい王朝の樹立を達成しました。李自成の勢力は途中から科挙受験者層も取り込んではいきますが、そこで考えられた体制が 何となく唐の時代の国制に似たものだという所は興味深いですね。なぜ唐の時代を模した仕組みを作ったのか、唐の時代の制度がこの時代においても理想のよう に見られていたとすると、それは何故なのか、何か唐を真似るべき見本とみさせる要素がどこにあったのか、踏み込んで書かれているとなお良かったと思いま す。

そして、大順王朝はすべてにおいて未完成なままあっという間に清によって滅ぼされてしまいますが、その理由についても様々な考察がなされています。皇帝と してどのような支配を行うのか、それまで戦ってきた相手(郷紳など)をどのように組み込むのか、統治の理念や体制の樹立と言った者を行うにはあまりにも時 間がなかったこと、おなじ流賊の張献忠とはついに手を組めなかったことなどとともに、彼の育った陝北の特殊な事情も触れられています。

李自成は王朝を作った際に西夏の李継遷を李氏の始祖としています。また彼の出自についてもタングート族の可能性もあると指摘されています。その他、陝西北 部は北方勢力との交流もそれなりにある地域であったともされていますし、流賊たちのなかにもモンゴルやチベット回族などもいたとされています。そうした 環境で育った李自成は非漢族とのどうするのか、そこまで考える段階に大順王朝樹立時点では達しておらず、そのことが敗北に至らしめたという旨の指摘があり ました。非漢族との関係からの考察は興味深いです。