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周藤芳幸「ナイル世界のヘレニズム エジプトとギリシアの遭遇」名古屋大学出版会

西洋の歴史において、ヘレニズム時代は「グローバル化」を迎えた時代としてとらえることができると思います。ギリシア人が活動する範囲はこれまで以上に拡 大していきました。では、長きにわたり一つにまとまった文明をつくってきたエジプトにおいてはどのような展開を見せたのでしょうか。ギリシアとエジプトと いう高文化が遭遇した時、そこで何が起きたのか。

本書ではエジプトにおける考古学の成果を多く用いながら、ヘレニズム時代以前のエジプトとギリシアの交流、プトレマイオス朝時代のエジプト在地社会と王権 の関係、領域部におけるエジプトの文化変容の様子、在地社会に生きる人々、在地エリートとギリシア系支配層の取り結んだ関係、東地中海世界とエジプト国内 の出来事の関係といった事柄を論じていきます。

もともとは個別の論文であり、扱われているテーマは多岐にわたります。その中には非常に興味深い事柄が盛りこまれています。例えば採石場について書いた章 では、エジプト語とギリシア語のグラフィティがのこされており、労働者の一部はエジプト人農民やギリシア人入植者であったことがうかがるといったことや、 また在地社会の家族文書からは現地でエジプト語とギリシア語を駆使しながら経済活動に従事していた者がいることが示されます。

また、一般的に非常に有名なロゼッタストーンについて、ロゼッタストーンのような神官達の集会を経て出された決議がどのようなものなのか、そしてプトレマ イオス朝でこのような碑文が現れ、それが消えていった過程から、王権と神官団の力関係の変化の一端が読み取れることを論じていきます。

その他にも興味深い話題は多いのですが、本書を通じて試みていることは、従来および近年のヘレニズム世界プトレマイオス朝の見方の修正です。かつてヘレ ニズム世界というとギリシア文化が東方に広まっていったという認識が強く、近年はヘレニズム時代の文化受容については、地域ごとに違いがあるものの、ギリ シア系の人々と東方世界の人々は別の世界を形成していたと見る傾向が強くなり、ギリシア文化の影響をかなり限定的に捉えるようになっています。

このような近年のギリシア文化の影響をかなり限定的に見るヘレニズム世界観について、従来のヨーロッパ中心の見方を修正すると言う点で非常に意味のあるこ とだと思います。しかし加藤九祚シルクロードの古代都市」等々、中央アジアにおける遺跡発掘調査の成果などを見ていると、それが少々強調されすぎている のではないかという気もしていました。

このような状況下で、プトレマイオス朝が長期間にわたって続いたエジプトについて、現地の考古学調査の結果発見された遺物から見るとギリシア文化の影響を ある程度は在地社会も受けていたという本書の結論は極めて妥当であると思います。また本書の最後にはギリシア系の人がエジプト風の棺を残すなど、現地の文 化の要素をギリシア系住民もとりこんでいたことなど、また興味深い話題が取り上げられていました。

そして、プトレマイオス朝は官僚制をもつ中央集権的・専制君主制の国家、国内の出来事と海外の出来事についてもそれを分離したものとして描かれてきました が、そのイメージについても最近の研究では修正が進められていることが示されています。王権と神官団の関係や、「海上帝国」としてのプトレマイオス朝と東 地中海を結ぶ様々な人々の活動といった事柄に目を向けることで、強固な制度の存在よりも、人と人の関係が重要であったことが示されています。

本書の研究はかなり限定された地域の成果を元にしていることから、かつてのプトレマイオス朝研究と同じ一部地域の事例を全体に適用するという問題も確かに 生じる可能性はあります。いきなりこれを以てプトレマイオス朝の全体像を書き換えると言うことは難しいと思いますが、その一端をになう研究であることは間 違いないと思います。