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橋本周子「美食家の誕生 グリモと〈食〉のフランス革命」京都大学学術出版会

現在あるようなフランス料理の形成・発展はフランスの歴史の歩みと深く関係があり、特にレストランの出現とフランス革命の関係などは良く指摘されるところです。

では、フランスにおいて美食という物に対していつ頃から現在のような形でのこだわりが生まれてきたのか、美食家というのがいつ頃から現れてきたのかとい うと、それもまたフランス革命前後の時代にまで遡ります。「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう」と豪 語した、「美味礼賛」の著者ブリヤ・サヴァランが有名です。しかしもう一人重要な役割を果たした人物としてグリモという人物がいます。

グリモとサヴァランは活動した時代にそれほど違いはなく、この二人の活動を通じて「美食家」「美食」といったものが作られていったと言って過言ではないの ですが、サヴァランはその名が後世にも一般に広く伝わっているのに対し、グリモのほうは食に関する書籍に少し登場する程度となっています。本書では文人グ リモ、観察者グリモ、思想家グリモという3つの顔に注目しながらグリモの著作を読み解き、論を進めていきます。

グリモが味覚ではなく視覚に訴える表現をしながら美食に関する事柄を描き出しているところは、我々がイメージするような食に関する批評とは少し違うようで す。また、グリモの著作には革命によりそれまでとは世界のあり方が一変する中、競争的でありなおかつあらゆるものが消費の対象となっていった美食の世界を 否定的に見る面と、革命前に存在したとされる社交を美食の世界において実現したいという肯定的な見方の両方が描かれていきます。そして最終章ではグリモと ブリヤ・サヴァランを比較しています。フランス革命という激動の時代を経て、食の世界もブルジョワジーなど新興勢力が関わるようになる中で大きく変わって いったこと、そうした状況が作られていく中でグリモが果たした役割を論じており、面白く読めました。

グルマンと言う言葉がそれまで動物的で洗練されていないという否定的なニュアンスをもって「大食」を意味する言葉として扱われていたのが19世紀になると 多く食べるだけでなく美味しく味わう事もできるという肯定的な意味も獲得していったと言うことが指摘されています。そして、単に美味しく味わうだけでなく 大食いの意味も持っているグルマンと言う言葉は力強さやブルジョワ的・男性的な感じを与えるのに対し、それまで使われていたフリアンが貴族的・洗練・女性 的なものとして、やがて美食の世界では添え物的なデザートなどにまつわる部分でその言葉があてられていくと言うような話はなかなか興味深いものがありま す。

グリモは当時の競争的でありなおかつあらゆるものを消費の対象としていた当時のフランスのブルジョワ層に対し批判的ではありますが、新たに台頭してきたブ ルジョワ層への期待の裏返しと言う見方は可能でしょうか。グルマンと言う言葉が肯定的なニュアンスを含むようになる過程などをよんでいるからか、期待して いるからこそ苦言を呈しているように見えてしまうところもありました。

フランス革命によりフランスの美食シーンも一変したのですが、美食の世界を自ら引っ張ろうという気概がグリモにどれくらいあったのか、そもそもそのような 事を考えていたのか、少し気になります。わかり合える仲間とだけ共有する世界としての「美食の帝国」を想定していたというのが本書での評価ですが、革命後 にあらわれた新興ブルジョワ層に向けて様々な著作が書かれているところからは、彼らを「美食の帝国」側に取り込もうという意図は少しはあったのではないか なという気がします。そうでなければ、本を書いて世に問うようなことはしないのではないかと。