まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

トム・マッカーシー(栩木玲子訳)「もう一度」新潮社(新潮クレストブックス)

主人公はある事故(どうも何か落下物にぶつかったらしい)にあい、記憶を失っていますが、諸々の条件つきで莫大な金額の示談金を手に入れます。真相に迫る ようなことをしてはいけないと言った条件、そして失われた記憶、こういう言葉を聞くと、この話の展開は主人公が謎の真相を探ろうとして、何か重大な出来事 の真相に迫っていくようなことになるのかと思う人が多いのではないでしょうか。

しかし、本書で主人公がとった行動は全く違うものでした。友人宅でのパーティーでたまたまみた壁のひび割れがきっかけとなり、主人公のある時点での過去に 関する記憶がフラッシュバックし、彼はその場面を再現することが自分のするべき事であるという結論に到るのです。そして、彼は莫大な金を投下して過去の 「再演」にのめり込んでいくのですが…。

ふとしたことがきっかけで過去のある記憶がよみがえるというと、マドレーヌがきっかけで色々思い出す「失われたときを求めて」のようですね。しかし、この 話が単なる自分の過去の再演から、車のトラブルの現場再現、銃撃事件の再現へとどんどんと狂った方向に「再演」が進んでいきます。そこにいたるまでの主人 公の狂いっぷりが恐ろしくもあり、そして面白くもある話です。

過去の「再演」が段々と危うい雰囲気を感じさせるようになっていく、しかも何気ないことがきっかけでさらに深まっていく、「再演」することに快感を感じる ようになり、さらに強い快感を求めた末にあのような結末を迎える…、自分らしさ、リアルというものは求めても求めてもたどり着けない何かのような気がしま す。アキレスとカメの詭弁のように近づくことはできても追いつけない、それゆえに自分らしさ、リアルさというものに拘り、そこにとらわれていくことで常軌 を逸していったような感じがします。

他の人と比べ、自分が巧く何かをできたとき、何かを演じきったときに高揚感を感じると言う経験をした人はいると思います。そのときの感じがわすれられず、 さらにのめり込んでいくということもあるとおもいます。自分の人生および自分の周りで起きたことを「再演」するというこの主人公をみていると、何のために 「再演」するのかという目的がいつのまにか変わっていったのではないかと思われます。ある出来事を演じ、追体験したときに感じる快楽により狂っていった男 の話と考えながら読みましたが、面白い一冊でした。