まずはこの辺は読んでみよう

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クセノポン(松平千秋訳)「アナバシス 敵中横断6000キロ」岩波書店(岩波文庫)

紀元前5世紀末、ペルシアの王子で小アジア方面の総督だったキュロス(王朝創始者と区別して小キュロスと呼ぶこともあります)が密かに兵を集め、王位を 狙って内陸へと侵攻します。しかしクナクサの戦いでキュロス軍は途中まで優勢に戦いを進めていたにもかかわらず、キュロスが戦死し、状況は一変します。 キュロスに味方した人々の寝返り、そして王に味方するティッサペルネスの奸計によりキュロスに従ったギリシア人傭兵団の主だった司令官や指揮官たちは捕ら えられ殺害されてしまいます。

こうしてギリシア人傭兵たちは指揮官不在の状態で敵のまっただ中に残されてしまいました。この危機的な状況下で突然指揮官の役目を担うことになったのがクセノポンでした。果たして彼は傭兵およそ1万数千を率い、敵の追撃を振り切り逃げることができるのか。

本書が変わっているのは、著者クセノポン自身が体験したことでありながら、彼が中心となって活躍するようになる第3巻以降も三人称での語りで話が進んでい くところです。自らが体験したことを書く時に、多くの場合は一人称の「私」の視点で語っていくことが多いようですが、本書ではそれとは異なるスタイルを とったことで、ギリシア人傭兵の撤退という出来事を語るにしても、一人称で書いたときよりも奥行きがあるような印象を読者に対して与えているのではないか と思いますがどうでしょう。

もっとも、三人称の形で書いていても、書かれているのは実際の指揮から兵士達を言いくるめる巧みな弁舌まで含めたクセノポンの活躍が中心になっています。 そのためか、彼とともに指導的立場にあったスパルタ人ケイリソポスについては、彼の引き立て役のような扱いになってしまっていますね。

読んでいると、クセノポンと他の人々の関係について想像を膨らませてみたくなるところもあります。序盤で死ぬキュロスおよび敵の奸計にはまったギリシア人 傭兵指揮官達と、クセノポンと行動をともにしたギリシア人傭兵指揮官たちを比べると、前者に対してはクセノポンによる人物評がついており、彼らがどのよう な人物であったのかと言うことが詳しく述べられるのに対して、撤退中に死亡した指揮官達の場合は極めて素っ気ない描写にとどまっています。撤退中の指揮権 を巡る衝突等々があり、人間関係があまりよくなく、あえて彼らについては軽い描写にとどめたのかもしれません。

軍隊や戦争にまつわることを書くと言うと、古代から現代に到るまで色々な物が残されていますが、戦いの場面を劇的に描く、また主人公側の戦いの場面をかっ こよく表現する、ある軍団や兵士の活躍を常人離れした表現で表すことは良くあることです。また、特に現代においては、軍隊が各地で働いた乱暴狼藉の類につ いて、戦争の悲惨さを訴えたいという意図のもと、軍隊による掠奪や虐殺といったことを強調して描くこともあります。しかし本書においては、戦闘シーンおよ びギリシア人傭兵軍が道中で働く掠奪などの乱暴狼藉の場面についても極めて乾いたタッチで淡々と描き出しています。

敵軍と戦った、村を焼いた、人々を捕らえた、食糧をとった、そういったことがかなりドライに、淡々とドキュメンタリータッチで描かれていきます。「ここで はこんなふうに淡々と書いているけれど、本当はもっと大変だったんじゃないの?」と言う具合に、こちらの想像力をかなり刺激されました。

本書では随所に指揮官達(とくにクセノポン)による演説の場面が多く出てきます。敵のまっただ中を逃げているとき、そしてギリシア系都市がすこしはある黒 海沿岸を進んでいるとき、そしてトラキアの族長の傭兵をしているとき、どの状況下でも兵士と指揮官の間で色々な問題が発生し、その都度弁舌を振るって兵士 を説得していくという展開が見られます。アテネに限らず、古代ギリシア人の生きる世界では言葉による説得がここまで重視されていたということでしょうか。

また、クセノポンという一個人についてみてみると、危険な状況下で人々を束ね、なんとか敵の手を逃れて帰還することに成功したこと、その道中での戦いでも 兵士達を的確に指揮して難を逃れていること、こういうところからはリーダーとしてかなりの力量を持つ人物であったことは確かだと思います。しかし、彼がペ ルシア王の軍勢に参加する際のエピソードを見ると、ソクラテスが言っていることはそうじゃないだろうとちょっと突っ込みを入れたくなりました。こういうと ころが、彼がプラトンとくらべて低く見られる要因になってしまっているのではないでしょうか。

行動や実践を重んじる彼の姿勢を軽んじることも誤りだと思いますが、思索と実践のバランスをとるのはほんと、難しいですね。

ここからは全く本書の感想と関係ないのですが、現在まだ連載が続いている(ただし休載も多い。今年の8月に最新刊がでます。久し振り…)岩明均ヒストリエでは主人公が第7巻を待っているシーン(そして、家の廃墟から第7巻を見つけて喜んでいるシーン)がでてきたりするので、そういうところから本書のことを知った人もいるのではないでしょうか。あとアッリアノス「アレクサンドロス大王東征記」(岩波文庫)の 原題も「アナバシス」となっていますが、これは本家を意識してつけたタイトルです。アッリアノスはクセノポンの著作のせいで、アレクサンドロス東征よりギ リシア傭兵1万人の脱出行の方が有名になっているとかいていますが、本当のところはわかりません(アレクサンドロスについてもそれなりに当時著作はあった はずなので)。