まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

リュドミラ・ウリツカヤ(前田和泉訳)「緑の天幕」新潮社

ソヴィエト社会主義共和国連邦がまだ外の世界からは輝きを持って見られていた頃、ある学校にてイリヤサーニャ、ミーハの3人が出会いました。3人とも学校社会のなかでは傍流に属する(今風に言えばスクールカースト下層か)ものの、如才なく振る舞うイリヤ、革命前の良家の流れと思われ音楽家志望のサーニャ赤毛ユダヤ系で詩を愛するミーハは友情を深め、さらに学校生活の途中から担任となったシェンゲリ先生の導きにより文学への愛に目覚めていきます。卒業後はそれぞれの道を歩みますが、彼らのつながりはソ連の歩みのさまざまな場面に顔を覗かせます。

そんな彼らの人生と同世代の女性3人オーリャ、タマーラ、ガーリャの人生が交錯していきます。ソ連的優等生から段々逸脱していいくオーリャ、ユダヤ系で研究職につくことになるタマーラ、体操選手への夢破れたのち結婚した相手は当局の人だったガーリャ、この3人の関係もまた独特なものがあります。彼、彼女らの人生及び、その人生にいろいろな形で関わった人々の物語が短編のように積み重ねられ、それを通じてソ連時代の雰囲気を描き出している一冊です。

ソヴィエト社会主義共和国連邦という国が存在した時代が終わってからもう四半世紀がたちました。もはや歴史の一部として扱われるようになってきているソ連がどのような国家だったのかというと、抑圧や監視、統制により人々がある一定の方向に向かい生きていく国家という感じがします。しかしそのような国であっても、国の定めた枠組みや道筋から外れる者が現れてきます。様々な手段で監視の目をかいくぐり、政府にとり都合の悪いものを刊行したり発表する、そんな人々がいました。

スターリンの死からソ連の崩壊数年後までの半世紀近い時代をあつかい、その時代のソ連に生きた市井の人々の人間模様を通じ、ソ連時代の様子を描き出している本書ですが、登場人物の多くは「反体制派」の人々です(体制側・体制寄りと明確に言えるのはガーリャの夫とオーリャの母親でしょうか)。彼らは当局の目をかい潜り、さまざまな作家の文章を流通させたり、写真を流したりしています。本書ではイリヤとオーリャが非合法出版活動に深く関わっていく様子が描かれていますが、彼らを取り巻く、関わりを持つ「反体制派」の人々の姿が実に個性的だったりします。

ソ連にとって好ましからざるものをあの手この手で流通させようとする彼らは当然当局の取締対象となり、密告や監視、裏から手を回しながら少しずつ締め上げる(突然仕事がなくなるなど)、いろいろな手を使いながら追い詰めていきます。なお、著者も非合法出版物を読んでいることが発覚して失職したという経験があり、それと似たようなエピソードが本書においても見られます(著者はその後作家活動に転身し、現代ロシア有数の作家として成功をおさめていますが、物語の中のエピソードはもっと悲惨な結末を辿っています。周りから締め上げられ心折れた者の最期はこうなるよなとしか言いようがない展開でした)。

「反体制派」の人々が行っていることは、読みたいと思う本を読み、見たいと思うものを見る、そして語りたいことを語るといった、現代の日本に生きる人間の多くからすると、それは当たり前ではないかと思うことばかりです。しかし我々の多くにとり当たり前とおもうことが当たり前でなかったのが当時のソ連というところでしょうか。当局の意向に従い続けることが良いこととされる極めて窮屈な世界がそこにはあるようです。そんな困難な時代にいかに人間らしくいきるか、その拠り所となるのが本書では文学ということになるようです。

とはいえ、困難な時代に自分を守る拠り所として文学があるものの、それは決して万能ではなく、周りの流れに押し流されてしまうこともあります。スターリン死後、葬儀に押し寄せた群衆の流れのなか人々が圧死する場面が本書に描かれていますが、まさにそのような感じで、集団をまえに個人ではどうやっても抗えない、集団の意志や国家の権力に膝を屈せざるを得ないところはあるでしょう。さらに現代では国家権力だけでなく、SNS上で直接個人に向かう色々な人の反応もあり、旧ソ連とはまた違う困難があります。自分の意志では如何ともし難い、そんな時に自分を守ってくれるものは何なのか、かんがえておかないといけないのかもしれません。

色々と思うようにならないことにさらされ、生き方もそれに影響される、それでも人は生きていく、そんな様子がさまざまな人の生き方を積み重ねながら紡がれた物語、年末に読むにはちょうど良い一冊でした。そしてなにより大部でありながら読みやすい文章で、一気に引き込まれて読み切ってしまいました。そこから一気に書きたいことを書いた感じなので、かなり散漫な感想となってしまいましたが、見かけたらとにかく読んでほしいと思った本です。