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杉山清彦「大清帝国の形成と八旗制」名古屋大学出版会

16世紀後半、交易ブームにわく東アジア、東北アジアにおいて女真族ヌルハチの元で統合され、ついには東アジアの大部分を支配領域に置く大清帝国清朝)が成立します。大清帝国の根幹をなすしくみとしては、八旗と呼ばれる社会制度・軍事制度の存在が挙げられます。本書では主に万里の長城を越える前の大清帝国における八旗を扱いながら、八旗とはどのような仕組みであったのか、そしてそれを軸にして大清帝国の構造を明らかにしつつ、大清帝国の成立を近世世界、中央ユーラシア世界の歴史の中に位置付けようとします。

ヌルハチの台頭の過程でマンジュの氏族集団が八旗が編成されていく際に、どのような構造をとっていたのか、また組織化がどのような形であったのか、ヌルハチ一門を旗王として分封された際に旗王とマンジュ氏族がどのように領旗に分封されたのかを明らかにしていきます。門地と功績をもとに有力氏族が八旗の中でも上位官位や上級世職を独占していたこと、旗王の分封に際して有力氏族と婚姻関係にあるヌルハチ一門の王族が旗王になっていたことが示されていきます。

また、ハンおよび旗王たちの侍衛(ヒヤ)制についての考察も行われています。侍衛はハンや旗王の警護・側近・精鋭部隊であるとともに各旗首脳をも構成する集団であったこと、そして侍衛制は侍衛へのリクルートを通してハン・諸旗王の家産的支配・主従関係へとあらゆる人々を取り込んでいく機能があったと指摘されます。なお、本書の第2部ではあらゆる人々を「マンジュ化」させ支配集団として取り込んでいくうえで侍衛制が大きな意味を持っていたというようなことが指摘されてます。

そして、ヌルハチによって定められた八旗制ですが、八旗八分のあり方は固定され、その後にも続いていきます。しかしこの枠組みが固まっている中でもいかにして自分の権力基盤を固めるのか、そのために様々な努力が払われた事例としてホンタイジ時代の話が取り上げられています。

彼はヌルハチ死後にハンに推戴されますが、ヌルハチ直属で政権中枢を担う人々が多かった両黄2旗は両白2旗に改称されホンタイジの弟ドルゴン3兄弟に継承されます。八旗の枠組みが変わらぬ中でホンタイジがいかにして己の権力基盤を固めていったのかに1章を割いて説明しています。「ホンタイジ」「スレ・ハン(セチェン・ハーン(フビライのこと)の満州語訳)」という称号、元の継承者的存在としてのアピールなどイメージ戦略のみならず、ヌルハチ時代の有力者の多い両白旗を抑えつつ正藍旗取り潰しと自己の旗への編入、息子ホーゲを旗王とする新正藍旗設置により相対的に優位に立てる体制を作っていったことがまとめられています。

第1部の最後では階層構造や左右両翼体制、親衛隊の存在などは中央ユーラシアに伝統的に存在した国家体制と酷似しており、遊牧民ではない女真族も国家建設に際しては遊牧民の軍事・政治が一体化した体制を作っており、中央ユーラシア国家の系譜に位置付けられるということが結論づけられています。

第2部では、現在の中国東北部において16世紀、17世紀の時期に混住・雑居していた満・蒙・漢・韓諸族が八旗への編入・組織化を通じて帝国成員へと再編成されていったことを指摘し、これを「マンジュ化」とよんでいきます。これは東アジアの交易ブームが盛り上がり流動的な状況が生じていた時代に現在の中国東北部で生じていた「華夷雑居」に対し、八旗のような硬いシステムを作り対応していったことが伺えます。第2部の内容では明からマンジュ(大清帝国)に降った人々の経歴やその後についてまとめてあり、様々な顔を持つが、その集団ごとに見える顔が違う「多元的であるが一体」という大清帝国皇帝の姿や、皇帝への血縁・時間・空間的「近さ」により整序される秩序が作られていたこととともに、なかなか興味深いです。

そして最後には大清帝国と同時代に存在したオスマン帝国サファヴィー朝ムガル帝国を比較し、これらの帝国の類似点が幾つかあることを指摘しています。八旗制について知りたい、大清帝国がどのような国家であったのか知りたい、そして世界史的な位置づけを考察したい、そういう人はまずこれは読まなくてはいけない一冊だと思います。第1部でも第2部でも、人物の経歴を追いかけ、復元していく部分にかなりページを割いていますが、それは細かいどうでも良いことではなく、むしろそうしたことを明かにしない限り八旗制とはどのようなものなのか理解できないということを意味していると思います。一つ一つの史料を丁寧に読みながら個人の来歴、所属を明かにし、そこから制度の性格や国家体制のありかたについて論を立てていく、史料を読み解き一つの歴史像を描き出す営みに、こういう本を読みながら目を向けてみてほしいなと思います。