まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

エリック・ジェイガー(栗木さつき訳)「最後の決闘裁判」早川書房(ハヤカワ文庫NF)

ヨーロッパを舞台とした物語では、「ローエングリン」序盤ではエルザが身の潔白を証明してくれる騎士が現れると言うと実際に彼女のために戦う騎士が登場し、スコット「アイヴァンホー」ではテンプル騎士団員誘惑の罪状で裁判で死刑判決をうけたユダヤレベッカが代闘士をたて無罪を示そうとするなど、裁判の場面で「決闘」によって己の正当性を示そうとするという場面がしばしば現れます。

ヨーロッパにおいて決闘は神意により正邪を判断する神明裁判の一つとして行われていたことがしられています(「決闘裁判」(講談社現代新書)という本もあります)。当事者同士が決闘を行って決着をつける方式は、中世ヨーロッパにおいては、神が認めて敵に勝つ力を与えてくれたのだから勝ったほうが正しいのだということで、神判と結び付けて考えられるようです(これについては批判的な見解もあります)。訴訟の勝敗が力に頼っているというところに違和感を感じる人もいると思いますが、現代のアメリカの裁判などを見ているとこれに近いようにも思えてきます。

14世紀フランスで、最後の決闘裁判の当事者となったのはノルマンディの貴族ジャン・ド・カルージュとジャック・ル・グリ、そしてカルージュの妻マルグリットです。歴史的に由緒ある貴族の生まれで尚武の気風溢れかなり暴力的ともいえるカルージュと、慎ましい家柄からのし上がり財力もある新興勢力ともいえるル・グリ、背景は随分と違う二人ですがともに王家にも近いノルマンディの貴族ピエール伯を主君として仕え、当初は決して関係が悪くなかったことは、カルージュの長子の名付け親をル・グリに頼んでいるところからも伺えます。

しかしその後の人生でル・グリが財力を背景としつつ主君に気に入られ所領を与えられたり重要な地位や仕事を任され、寵臣となって行く一方でカルージュは望む地位にもつけず、所領を望んでも得られず、しかも主君との関係も悪化していくという具合に明暗が分かれていきます。同じような地位で競い合うライバルであっても決して関係は悪くなかったのが、徐々に悪化して不倶戴天の敵という状態に至ります。

不運続きのカルージュは妻と子をなくし再婚するのですが、その相手が裕福ではあるが王に二度叛逆した家の娘マルグリットだったというところも彼をさらに苦境に追いやったところがあるようです。不審の目を向けられる上、マルグリットが持っていた所領がル・グリのものとなっているなど、この結婚もかルージュが望むものを与えてくれはしませんでした。

財産、地位、主君からの信頼を損ない、坂を転げ落ちて行くような状況のカルージュですが、一度は和解したル・グリと決定的な敵対関係に至ったのは彼がスコットランド遠征でいない間に妻のマルグリットが強姦され、それを行なったのがル・グリであると妻から聞いたことでした。カルージュはなんとしてもル・グリを告発し裁きを受けさせようとします。これに対しル・グリは無実を訴え、両者の主張は平行線をたどり、ついに高等法院は血統裁判に委ねる事になります。はたしてこの決闘裁判はどのような形で決着するのか。

決闘裁判自体が徐々に消えて行く中、百年戦争真っ只中の14世紀後半のフランスを舞台として行われたフランス最後の決闘裁判の真相をめぐっては実際に事件があったのか、狂言なのかをめぐり意見は分かれています。本書はその決闘裁判に至る過程と、当時のフランスの政治や社会、裁判の仕組みなどにふれつつこの事件とそこに関わった人々の運命を描き出しています。この決闘で敗れた側はその後屈辱的な扱いをされることになりましたが、勝利した側も一気に地位を高めたものの最期は不遇であり、遺された者については今後困難が予想される、そんな終わりかたになっています。

それぞれの当事者の見解から再構成された内容が相反するものであるという、黒澤明羅生門」を思わせる展開ですが、この事件を巡っては事件の直後から疑問視する声もあり、その後も見解が分かれ、マルグリットの強姦をしったカルージュが自分に都合良く話を作り変え、その展開にそうよう妻に強要しル・グリを告発させた不正な訴え(真犯人は別、のちに名乗り出たともいわれる)であったとする見方を取る人が多いようです(ただ、こちらの見方については、なんとなく女性はものを言う能力、自分で何かを考えて決める能力などないようにとらえているようにも感じられるのですが)。全体を通してみると、本書はカルージュ、マルグリットによるル・グリ告発について、どちらかという訴えは正当ととらえているように感じます。もっとも本書で登場するル・グリの弁護士がいうように「ことの真相は、ほんとうのところ、闇の中だ」としか言えないのでしょう。

過剰なまでに暴力的でありかつ状況が見えていないようなところがカルージュの振る舞いにはみられますし、マルグリットとの結婚についても正直な所財産目当てであり、彼女へのあつかいについても彼女の意思など考慮していない振舞い(ル・グリとの和解の場で酔った勢いとはいえ妻にキスを命じると言うのはどうなのだろうかと)もみられます。暴力的かつ打算的な振舞いが随所に目立つカルージュですが、妻に虚偽の告発をさせたとは少々考えにくいです。そもそも訴えても決闘裁判自体が行なわれる確率が低い(実際、これ以前に幾度となくあった決闘裁判の申立ては大抵受けてもらえていません)、さらに決闘裁判で敗れた場合、彼はもちろん妻も巻き込み、一族も恥辱にまみれることになる。これまで幾度となく裁判沙汰をおこしそのたびに敗れた彼とて、この件で下手に告発して失敗した場合のリスクは考えるのではないかと思われますし、実際、マルグリットから話を聞いたあと、カルージュは一族を集め対応を協議し、そのうえで王に訴え出る事を選択しています。

また、この件が真相はどうなのかはさておき、カルージュとマルグリットの関係性には興味が湧いて来ます。結婚当初はそもそも財産目当てというところもあったようですが(しかし望んでいた土地がこともあろうに主君がル・グリに与えてしまっていたことが問題をややこしくしていきますが)、カルージュのマルグリットの親族への関わりをみていると(マルグリットの従兄弟を従騎士として遠征にも連れて行きます)、結婚して跡継ぎはなかなか生まれないけれど二人の関係はそれほど悪くはなかったようにも見えてきます。

そして、この2人の関係をさらに強めていったのは、この事件だったのではないかと言う気がしてなりません。今以上に女性に対する制約がきつく名誉と恥辱というものが大きな意味を持たされている時代において、この事件の様な事例においては泣き寝入りを余儀無くされる(現代もそういうところはあり、周りからさらに詮索されおもしろおかしく話を流され傷ついていくことになります)、それでも正面切って告発することにしたマルグリットと、いろいろな現実的な事情がからむにせよ彼女の話を聴いたうえで最終的にそれを支持したカルージュ、このような振る舞いはなかなかできることではないでしょう。なお、マルグリットは事件の詳細を可能な限り正確に記録し(文字を書けたかは不明であり、記憶した可能性も高いようです)、カルージュや親族に正確に伝え、証言を用意し、度重なる審問でも全く揺らぐことなく証言を行っています。彼女自身の精神力の強さも感じられました。

訴え出れば好奇の目に晒されるうえに恥辱に塗れ傷つくこともありうるがそれでも訴ることを選んだ妻と、そのような妻を最終的には支持し、決闘裁判により自らの命も賭して名誉を守ろうとする夫、この本で描かれている事が妥当ならば、この夫婦の間の信頼関係は相当強固なものだったのかもしれないと読んでいて思いました。損得勘定だけでここまでのことを行なうのは難しいのではないでしょうか。