まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

佐良土茂樹「コーチングの哲学 スポーツと美徳」青土社

スポーツの現場において、良いコーチとは何かをめぐって、色々な考え方が出されていますし、それぞれに思うところはあるでしょう。試合で勝たせてくれるコーチが良いコーチなのか、はたまた何か技術を上達させてくれるのが良いコーチなのか、何を以て「よいコーチ」とみなすのかは人それぞれともいえます。

しかし、勝つためなら何をやってもよいというかというと、体罰や不正行為に手を染めるコーチはどうかんがえてもよいコーチとは言いがたく(数年前にも体罰と自殺の問題というのがありました)、また自主性に任せると言うことを隠れ蓑に何もしない無関心なだけのコーチ(多分学校の部活の顧問だとそういう人は多いかと思います。特に最近の情勢からすると多そうです)というのも困りものです。

また、コーチが自分のプライバシーを犠牲にしてまでチームのために尽くしているというと、美談のように聞こえますがそれはそれでまずいことになるでしょう。自分をスポイルしてしまうし、自分がこれだけやっているのにという思いから他人に対し攻撃的になる人もいます。

では、よいコーチとは何か、どのような資質を持つものなのか、そういったことについて、本書ではアリストテレス倫理学(ニコマコス倫理学をかいていますね)、そして「コーチK」ことマイク・シャシェフスキー(Mike Krzyzewskiという姓が余りに難しいためコーチKと呼ばれているとか)のコーチングについての分析、それをもとに「善いコーチ」とはなにかを考えていきます。

技能や知識にもとづきアスリートを指導しながら彼ら及びチームの資質を発揮させるだけでなく、アスリートの人生がよりよいものとなるようにつとめることだけでなく、コーチングを通じてコーチ自身の卓越性や徳を発揮し、コーチ自身もよりよい人生を生きることを目指す、そういうものが「善いコーチ」であるというところでしょうか。

試合の勝ち負けは対戦相手や様々な偶然にも左右されるものであり、それを第一の目標に据えるよりも、コーチングを通じてそれをうけたアスリートが技能を向上させたり体力を付けたり、試合で力を発揮できるようにする、そういうところに主眼を置きつつ、コーチ自らの持つ資質の向上にも努める、お互いに関わり合う中でそれぞれの持つ資質、徳を高めていこうという感じなのかなと読んでいて思いました。

そして、「善いコーチ」のありかたを考えるにあたって、アリストテレス倫理学の考え方が応用されていますが、こういう応用的な哲学研究というのは個人的には有りだなと思います。学問の世界に沈潜するのも一つのあり方ですが、探究によって得られた成果をもとに、自分が今生きている場でより良い人生をあゆむ、社会に役立てる、そういう形での学問への関わりというのはやはり必要なのではないかと思います。

いわゆるハウツーもの、技術マニュアル的なコーチングについての本ではなく、コーチングとは、コーチとはと言ったことをより掘り下げて考えるための道具としてアリストテレス倫理学における人間の徳や卓越性といったもののの捉え方を用いているという感じの本です。スポーツのコーチに限らず、人に何かを教える立場にある人がこれをよみ、色々と考えていく、そして自分の取り組み方を見直したりより向上させようとする、そのためのとっかかりになりそうな一冊であり、多くの人に手に取って読んで欲しいと思う一冊です。