京都大学学術出版会会の西洋古典叢書からプルタルコス「英雄伝」の翻訳が出始めてから大部立ちました。途中で訳者の柳沼重剛先生がなくなられ、訳者の交替がありましたが無事6巻で完結と言うことになりました。
最終刊の6巻では、デメトリオス・ポリオルケテス(エウメネスと戦ったアンティゴノスの子)とアントニウスの伝記の組み合わせ、ディオンとブルートゥスの組み合わせの後は、単独の伝記としてアルタクセルクセス(ペルシア王)、アラトス(アカイア同盟の政治家)、ガルバとオト(ネロの後のローマ皇帝)が並べられています。
デメトリオスとアントニウスの組み合わせは、運命の変転のなか良いときもあったが最終的には破滅していくところや、どちらも贅沢や快楽に溺れ堕落しているようなところがみられるなど、悪いところで似たようなところが見受けられる構成となっています。いわば「反面教師」的な扱いとも言われるこの2人の伝記ですが、それでも時々、序盤の展開において美点となることにも触れています。例えばデメトリオスは旺盛な活動力、慈しみ深く友情に熱く仁慈と正義の資質を持っていたこと、アントニウスについては序盤に窮地にある時最高の人間となること、失墜の時に偉大な人間に最も近づくということが書かれています。
危機に見舞われた時に発揮される徳や忍耐が平時には発揮できないというところが彼らの弱さでもあり、また美点が取り上げられるのは伝記のじょばんであり後半になると弱さや欠点の方が目立つ展開になっていくのですが、そのような人物であっても、何かしら美点となりうるものがあり、己の持つ徳をいかに発揮できるか、維持できるかというところを考えさせられる展開になっているように感じました。運命の変転のただなかで、人はいかに徳を発揮していけば良いのか、そして幸運と贅沢の中で己の持つ徳をいかに損なわず保っていけば良いのか、そのようなことを考えさせられる人物2人の伝記が掲載されています。欲望をいかに抑えるか、それが結構重要なのでしょう。
そのほか、僭主や独裁者と戦ったディオンとブルートゥスの伝記とその比較、アラトス、アルタクセルクセス、ガルバ、オトといった人物の単独の伝記が掲載されています。なぜその人を選んだのか(とくにガルバとオト)、その理由を知りたいところですが、これら単独の伝記ついては何か対になるものを考えていたのか、はたまた独立した伝記を書いてそれでよしとしたのか、対にするとしたらどのような人物が挙げられるのかを考えてみるのもまた一興というところでしょうか。
プルタルコス「英雄伝」全巻を通して言えることですが、それぞれの人物の伝記を一度読んで終わりにするにはもったいなく、何度も興味の赴くままに手に取って読み返し、色々と考えてみるというのが良い楽しみ方だと思うようになりました。決して歴史を書いているわけでなく、人物を描くことに重きを置き、そこがまた歯痒さを感じる時もありますが、運命の変転にいかに向き合うか、夜更けに思索を巡らせるのもまた楽しいと思われますがどうでしょうか。