まずはこの辺は読んでみよう

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巽由樹子「ツァーリと大衆 近代ロシアの読書の社会史」東京大学出版会

19世紀後半のロシアにおいて、一般大衆が軽く読める週刊誌として、絵入り雑誌が多数刊行されるようになりました。もともとは西欧で刊行されていたタイプの雑誌ですが、これがロシアでも刊行されるようになり、多くの読者を得るようになりました。そこで扱われている題材は、当時の流行のファッションであったり、様々なことを簡単に知ることができるような(ただし、どこまで正確かは怪しい)テーマの解説であったりとさまざまです。

それまでのロシアで発行されていた「厚い雑誌」はインテリ向けの雑誌であり、いわゆるロシア文学の作家として名前が挙がるクラスの人々の小説が掲載されていたり、かなり高尚な話題が多かったのと比べると、絵入り雑誌はかなりライトな物であったようです。現代の日本で似たような物が何があるかと考えてみると、コンビニエンスストアに売られているペーパーバックやムックと似たような感じもうけますし、ウェブ上の「まとめサイト」のような感じもします。

本書では、絵入り雑誌を刊行している出版社の興隆をまずは扱い「大改革」以後ビジネスチャンスを求めてやってきて書籍販売に参入した外国人が起業した事例がとりあげられています。また、当時のロシアにおける出版界の構造の分析も行われ、予約注文や広告料で資金を集め営利事業を展開する出版社が原稿料制度により作家を支配し、郵送購読制度で地方書店を従属的立場においていたことが示されていきます。

そのあとは絵入り雑誌の読者となった「読書大衆」についての分析を通じ、絵入り雑誌の読者層は企業家や専門職だけでなく中下層の人々からも構成されていることや、「厚い雑誌」を読む人々も絵入り雑誌を読んでいたりすることが示され、絵入り雑誌が全階層的な読者層を持っていたことや、ロシア人だけでなくロシア語使用者も含む可能性が指摘されます。そして、絵入り雑誌の読者は受動的に上からものを与えられて受け取るだけの読者でなく、出版社に要望を出すなど結構能動的な消費者であったことも示されていきます。ただし、彼らが求めたものはわかりやすいものであり、そこには怪しいものも色々と含まれているということは、絵入り雑誌に取り上げられた題材からはわかるかと思います。

後半3章では絵入り雑誌のような新しいメディアと読書大衆がインテリゲンツィア、民衆、専制の3つの集団とどのような関係を持っていたのかを具体的事例を取り上げながら分析します。今まで「厚い雑誌」に記事を書いていたインテリが絵入り雑誌に記事を書くようになるというと零落していくような雰囲気もありますが、一方で絵入り雑誌においてそれまでの主張を載せることで新たな受容者を見出し、自分が薦める芸術を人々に共有させることがそれなりにできたとも言えるようです。すでに時代の最先端ではなくなっていたリアリズム芸術を称揚するスターソフが絵入り雑誌に芸術評論を書き、新たな読者を得ていく過程を見ていると、絵入り雑誌の読者にとっては時代の最先端から少し遅れたくらいのほうが受け入れやすいものだったようにも見えます。かなり保守的な嗜好を持っているようにも感じられますが、当時の民衆の価値観にはリアリズムのわかりやすさがうまくはまったのでしょう。

民衆とメディアの関係については、民衆出身の出版起業家ソイキンの活動がとりあげられています。自分の出版社から科学雑誌(とはいえかなり怪しい内容ですが)と同時にロシア正教の雑誌も刊行し、彼らの嗜好を満たしつつ生活文化や価値観に沿った出版物をうり、人気を博していたところからもうかがえます。そして、民衆は自分たちが読みたいものを主体的に選び取り読んでいたこともこの時代の読書状況から見て取れます。

なお、ソイキンがボリシェビキ支持の姿勢を表明し、宗教雑誌のことはなかったことにしつつ科学雑誌の方を前面に押したててアピールしたり、社会主義系書籍を販売したりする姿からは、この人物が只者でないことが見て取れます。時代の状況に応じ、巧みに振る舞うしたたかな出版人という感じを受けました。絵入り雑誌を発行していた出版社の創業家のほとんどが革命後に亡命し、民間出版社、印刷所が国有化され、大衆メディアが国家管理下に入ったなか、ソイキンの時流を見る目としぶとさは特筆に値するのではないでしょうか。

そして、情報を主体的に民衆が得ていたことは、ニコライ2世戴冠式をめぐるメディアの取り上げ方からも見て取れます。政府の方で公式に流すイメージは当然あるのですが、絵入り雑誌などでも色々な取り上げ方がされ、ツァーリのイメージもまた一つの商品として流通・消費されていたさまが描かれています。民衆啓蒙にしても専制によるイメージ戦略にせよ、「上からの」情報戦略だけではなく、民衆の側でも主体的に情報を取捨選択していたというところでしょうか。ツァーリの表彰が上からコントロールできるものでなくなっていくことは、帝政末期になるとより顕著になっていきます。

絵入り雑誌など大衆向けメディアはかなり保守的・右翼的傾向が強いものの、それが必ずしも専制支持に結びつかないというところも興味深いものがあります。議会開設を決めたニコライ2世は保守派が理想とする「強いツァーリ」ではなく伝統を破壊する存在として批判を受け、第一次世界大戦中には皇帝一家への反感が強まる中、皇后とラスプーチンニコライ2世を登場させたポルノ作品までだされるに至り、ツァーリのイメージを上からコントロールするという状況は崩れ去ったとも言えるでしょう。こうしたところにも、受け身ではない大衆の姿の一端が伺えます。

取捨選択して身につけていった事柄の質はともかくとして、大衆が単に上から啓蒙されたりイメージを押し付けられるだけの存在でないということが出版との関連から描き出されています。こうした大衆がどの程度まで「主体的に」動いているのか、主体的に動いていると思っていて、そういう風に動かされているのかもしれないのではと思うところもありますが、自ら情報を発信したり主体的に情報を取捨選択しながら学んで行く存在であったことが本書で示されています。そういう人々の動きが社会を変容させていった帝政ロシアの様子から、色々といまの世の中のことを考えて見るのも面白そうです。

革命家に指導される貧しい人々、というロシアの民衆に対するイメージではとらえきれないものをわかりやすく示してくれている一冊だと思います。