まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

チヌア・アチェベ(粟飯原文子訳)「崩れゆく絆」光文社(古典新訳文庫)

主人公オコンクォはアフリカの村落社会で苦労しながら頑張って、妻達、子ども達に対してはまるで昔の家父長制の頃の日本を彷彿とさせるようなふるまいもし ていますが、それなりの地位を築きます。しかしちょっとした事故がきっかけで村から7年間の追放刑に処されてしまいます。そして刑期をおえて帰ってきた彼 の目の前に広がる村の社会はキリスト教が入ってきたことで、大きく変わっており、そして彼は色々な物を失っていきます。

全体の6割強はオコンクォが暮らす村の伝統社会の様子がかなり細かく描かれており、まるでアフリカのある村落社会を舞台にした民俗誌のような様相を呈して います。この村社会でオコンクォは格闘技に秀で、それにより名声を得るとともに、父親のようにはならないという思いから熱心に働き、村落で人々から尊敬さ れる地位を築いてきます。しかし、雄弁であることが求められる社会で、オコンクォはどちらかというと腕力で言うことをきかせるタイプであり、彼自身も伝統 社会の中では中心からは外れた位置にいるように思えます。

オコンクォが追放されている間にキリスト教の布教が進められ、村の伝統儀式の結果、心に傷を負っていたオコンクォの長男や、村落社会では周縁に追いやられ ていた人々の心を捉えていきます。伝統社会では居場所の無かったものがキリスト教・ヨーロッパ文明の到来により居場所を得ていく一方、それまでの伝統的な 社会や習慣はヨーロッパ文明によって一方的に否定され、消されていくという展開ですが、多分、この一方的にアフリカの伝統を否定するヨーロッパ文明が、著 者によって批判される対象なんだろうという気がします。キリスト教の信仰に変わっていく人々は伝統的な社会では居場所がなかった人々であり、彼らにとって キリスト教が救いになったと言うことは間違いないことだと思います。そこをみると良いことだと思うのですが、問題は問答無用、一方的に「キリスト教、ヨー ロッパ文明こそ正しく進んだ物で、遅れたアフリカの社会はそれによって変えられなくてはならない」という姿勢で臨むヨーロッパの態度なのだろうとおもいま す。

異なる文明の対話は果たして可能なのか、未だにその答えは出ていないような気がしますし、果たして出るのかどうかは分かりませんが、なんとか答えを探さねばならないのでしょう。