まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

澤田典子「アテネ最期の輝き」岩波書店

紀元前4世紀のアテネの歴史については、カイロネイアの戦い以降どうなったのかはほとんど知られていないというのが現状です。前4世紀後半というとマケドニアの台頭、アレクサンドロス大王の東征と後継者戦争といったことに焦点が当てられる一方で、それまで栄えてきたアテネについてはほとんどふれられなくなってしまいます。

 

が、その頃のアテネがどのような状況にあったのかというと、アテネ民主政が栄えた最後の時代であり、民主政治への傾倒が見られた時代(デモクラティアへの崇拝や民主政治転覆罪などがあります)でした。本書ではマケドニアの台頭から後継者戦争勃発のころアテネで活躍したデモステネスの生涯をたどりつつ、彼と同時代に活躍した他の政治家の経歴や当時のアテネの状況についてもまとめていきます。

 

まず序章でカイロネイアの戦いについてとりあげ、カイロネイアの戦いでギリシアの「自由」に終止符が打たれたという通説にたいする疑義からはじまります。そして、カイロネイアの戦い以降のアテネで政治家の対立が個人的要因と政策的・イデオロギー的要因のどちらに比重を置いているのかという問いから、次の章以降へと話がつながっていきます。

 

そしてこの本ではデモステネスの生涯を軸にアテネの歴史を見ていくという形をとっていくのですが、デモステネスが努力によって様々な障害を克服してアテネの政界で重きをなすようになった過程がまとめられています。デモステネスのがんばりを見ていると、まさに「努力の人」という言葉がこれほどあう人はいないだろうという気になってきます。なお、デモステネスというと弁論家としてよく取り上げられますが、彼の評価は前2世紀に入って高まって現在に至っているものの前3世紀頃は評価されていなかったということは初めて知りました。

 

マケドニアの覇権下で慢性的な戦争状態から解放され繁栄と安定を迎えたアテネがどのような時代だったのか。まず、民主政からみていくと、別にカイロネイアで負けてもこの体制は存続しており、民主政治という体制の維持に力を注ぎその政治体制に対し市民が誇りを持っていた時代(デモクラティア信仰(擬人化されたデモクラティアの女神の図像がある)や反僭主法、民主政転覆罪が存在します)というのが本書における認識のようです。リュクルゴスによる支配なども含め、余り知られていないことなので、こういった事柄についてまとめている本書の存在はありがたいです。

 

デモステネスというと、現在西洋古典叢書で弁論集が読めるようになっています。色々な裁判のための弁論から政治弁論まで色々ありますが、彼のライバルであるアイスキネスとの間で行われた「冠の裁判」(デモステネス顕彰提案にたいしアイスキネスが違法提案として告発(前336)し、そのあと前330年に始まった裁判)について1章をさいて詳しく扱っていきます。通説では親マケドニア派と反マケドニア派の対立として理解するのに対し、本書では「冠の裁判」は政策や政治と関係のない個人的な敵意から、デモステネスがアイスキネスに裁判を起こさせるような方向へ追い詰めていったものであったと論じていきます。

 

また、裁判関係で同じくページ数を割いているハルパロス事件についても、従来は反マケドニアの気運が高まるアテネで急進的反マケドニア派と穏健的反マケドニア派の争いといった、党派争いのような形で理解されています。しかし本書ではそのような気運はアレクサンドロス存命中にはなく、関係者個々人をみても親マケドニアとか反マケドニア、急進的とか穏健的なのかはっきりせず(そもそも政治活動していない者もいます)、政治路線に基づく説明は困難であることを指摘し、カイロネイア以降の当事者の関係に着目してそちらに重きを置いているところが大きな違いであると思います。

 

かつてのように対外政策を巡る明確な対立は見られなくなり、政治家たちの関心は国内の問題に収斂し、その結果政治の場で個人的要因の比重が増し、政治家は個人的な感情により離合集散を繰り返していたということを示しているところは、余り知られていないアレクサンドロスの時代のアテネについての記述と並ぶこの本の売りではないかと思います。個人的な感情や動機といったところに注目しながら歴史を見るというと、個人的要因(恨みと打算、義理と人情)が歴史を動かしたと喝破する鴨川達夫「武田信玄と勝頼」(岩波新書)を思い起こさせるところがあります。「英雄史観」とは違う形で個人に着目する研究というものがこれから増えていくとよいのですが、それはまた別の話。

 

なお、本の感想とは全く関係ないのですが、著者はフィリッポス2世に関して博論を書かれた方ですが、出来ればそれも本にならないかなあと期待してしまいます。岩明均ヒストリエ」でもフィリッポス2世が登場したことですし、出すと読む人はいると思うんですが(と、前にもどっかで書いたことを繰り返してみます)。本書でもマケドニアの動向は結構書いてありますが、マケドニアのみの単著がでて欲しいなあ、うん…。個人的には、その方がサイトのネタに使えるので嬉しいのですが。

 

(追記:2024年1月31日)

この本は講談社学術文庫に入りました。なぜ岩波が自社レーベル(現代文庫)に入れなかったのかは正直よくわかりません。もったいないな。それはさておき、文庫版あとがきでヒュペレイデスの弁論の断片が新たに見つかり、デモステネスの「冠の裁判」のモデルケースのような事例がみられることや、テーベとの同盟などへのデモステネスの貢献についても異説が伺えるような内容があるようです(もっとも弁論の性質を考えると意図的に軽視した可能性もあるようですが)。この後書きがあるだけでもありがたいです。文庫版も是非読んでほしいと思います。