まずはこの辺は読んでみよう

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井上文則「軍と兵士のローマ帝国」岩波書店(岩波新書)

古代ローマの軍事を扱った書籍はいくつかありますが、共和政期の市民軍からマリウスの軍制改革により職業軍人化の道が開け、内乱の1世紀をへて帝国が樹立されると常備軍となり、元首政期、常備軍化した軍団兵は辺境を中心に配備されたといった、帝政前期のあたりまでの記述が中心となっています。その後の時代については、「軍人皇帝時代」のようなところで軍と皇帝の関わりや、機動軍の編成が行われたことや、ゲルマン人がローマ軍に多く使われるようになったということが書かれるのみです。

本書は王政期に市民軍が作られたところから話が始まり、共和政期、そして帝政期を扱い、西ローマにおけるローマ軍の終焉までのローマ軍と兵士について扱っています。他の本と違うところとしては、比較的手薄になりがちな後期ローマ帝国の軍制についてもかなり頁を割いているところでしょう。

興味深いことがらをいくつか見ていくと、共和政時代、マリウスの改革で財産基準が撤廃されるより前の時期にも貧しい市民の中にはなんとか武装を自弁し長期間従軍し職業軍人のようになる者がいたということ、軍団兵の配備された属州以外に軍団兵が動いていたり、補助軍が配備された事例もあることなどは見落としていました。そういうこともあるのかと勉強になります。軍団から離れて働くものもいたという指摘もあり、軍団が辺境にしか配備されていないといっても、さまざまな形で人々が兵士と接することがあったのが前期帝政(元首政期)のローマだったということのようです。辺境の外敵に接する属州に軍団を配備するのは決して防衛に徹するわけではなく、かなり攻撃的な姿勢であり、帝政前期の戦争の多くがローマ側から仕掛けたものであるという指摘は軍というものをどう見るかを考えた時、かなり重要な指摘だと思われます

また、属州に駐屯する軍団兵の平常業務として土木工事や鉱山採掘、街道パトロール、上官の警護、はては便所や浴場の掃除に使われる一般兵卒のほか、雑役を免除されている兵士は属州総督のもとで官僚的な業務に励んでいる事例もあることが示されています。ローマ帝国、特に元首政期は官僚の数が少ない「小さな政府」のようなものである(その代わり地方の都市が果たす役割が大きかった)といわれますが、それを補うものとして軍団兵がいたというところが、まだ専門分化が徹底されきっていなかった時代ゆえ可能だったのでしょうか。

そんな状況が変わり始めるのが五賢帝時代、マルクス・アウレリウス・アントニヌスが騎士身分登用という形で能力主義的な司令官登用を持ち込み始め、皇帝足下の機動軍編成がウァレリアヌス帝時代に始まり、能力主義はさらにつきすすみ兵卒出身の指揮官、そしてそこから皇帝となる者すら現れるようになります。そして後期ローマ帝国の機動軍体制が完成に至るのがコンスタンティヌス帝の時代で、この頃には皇帝足下の機動軍と辺境防衛軍からなる体制が出来上がったということが本書の主張のようです。

ただし、機動軍体制のもと軍事力が強大かというと微妙なものがあるようです。相次ぐ戦乱が損害を与えたことや、各地に分散されたため個別の兵力は少なくなったこと、補充した兵力も訓練不十分などで質が低下したことなどの問題に加え、収入減少により軍を維持すること自体が困難になっていくこと(そしてそれが帝国西部における機動軍、辺境防衛軍の消滅という事態にもつながっていく)と言うことが指摘されます。

機動軍体制がうまく維持できなくなり始める頃、西の帝国で重くもちいられるのが同盟諸部族軍ですが、従来と異なり部族組織をそのまま残した形で受け入れるというものでした。単純に戦闘力が高いのと、機動軍の兵力消耗を避けたいと言う意向が働いたこと、同盟諸部族の力を消耗させるという意図、これらによると言うことですが、その後の帝国西部をみると帝国機動軍は消耗し、同盟諸部族軍に取って代われていくと言う結果に終わっています。既に機動軍体制となったことで軍が市民社会とは全く別のものとなっているなかで、戦闘力が同じくらいで経費がかからない(同盟諸部族は一時金や土地を与えれば済むとみられていた)となると機動軍が消えるのは必然だったという所でしょうか。西と異なり、東がなぜ機動軍体制を維持できたのかということについては財源や兵力供給地をおさえていたこと、穀倉地帯エジプトがあったこと、一時停滞した貿易も再開したこと、異民族流入が限定的だったことを挙げています。

全体を通していえるところとして、古代ローマでは職業軍人化とプロフェッショナリズムを突き進めていった結果、かえって軍が維持できなくなるという皮肉な結末を迎えたという所でしょうか。そして、常備軍がなぜアウグストゥス以後長期にわたり維持できていたのかと言うことに関して、著者は(広義の)シルクロードを通じた交易のつながりにより莫大な収入が入るようになっていたことを挙げています。著者はシルクロード貿易とローマ帝国の関係について別の著作で既に色々と論じています。説の当否についてはさておき、ローマの軍制の展開をユーラシア世界の中に位置づけようということで面白い試みだと思います。ローマ史ではありますが地中海とその周りに限らず、より広い世界の中に位置づけて考えていくというのは今の時代に求められていることだと思いますので、その試みの一つとしてお勧めしたいと思います。