まずはこの辺は読んでみよう

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ジョゼ・サラマーゴ(木下眞穂訳)「象の旅」書肆侃侃房

時は16世紀、海洋帝国ポルトガルの国王ジョアン3世はオーストリア大公マクシミリアンへの贈り物をどうするか考え、インド象を送ることにしました。その名もソロモンというインド象と象使いのスブッロは兵士達に守られながらリスボンを出てウィーンへ向かいます。途中でオーストリア大公の一行に引き渡され、嵐の地中海を越えてジェノヴァ、さらにヴェネツィアへ入り、そこから酷寒のアルプスを越えてウィーンへ向かうソロモンとスブッロはどうなるのか。

16世紀のヨーロッパで庶民はもちろんのこと宮廷で働く者たちも象を目にする機会はなかなかないことです。ソロモンを見た人々に対し驚きを与えたり、ソロモンと共に歩む兵士や人足たちにも何かしらの印象を遺すような場面もみられます。また、ある者は悪魔祓いのような事を行おうとし、またあるものはこれを利用して「奇蹟」を顕現させようとする様子も描かれています。

贈り物として象が送られたと言うことをもとに、そこから話を膨らませて彼らの旅を寓話的な話として描き出していきます。話の流れとしては、ポルトガルからオーストリアまで象を贈るための旅を追うという、至ってシンプルなものなのですが、そう簡単には話が展開しない作りになっています。ソロモンをオーストリアまで送り届ける過程を描く本書は、途中でさまざまな「脱線」が見られます。

本書で随所に見られる「脱線」は物語の登場人物や作中人物に関わる話題が繰り広げられることもあれば、物語の外から作者のような何者かが介入してくるような展開もみられるほか、所々に皮肉の効いた描写が挟み込まれるなど、さまざまな形をとって現れてきます。。例えば「床につく」という表現を何で使うのかというところで数行を費やしてみたり、秘書官がつかう「詩的」というのが一体何なのか分からなくなるような話になったりするばめんもあります。また、長さの単位の表記をめぐり、それだけで1ページくらいついやした挙句現代の単位を使うことにするという対応をとったり、随所に時代の違いも飛び越えた言葉や場面が登場しますが、「自己責任」なんて言葉をここで見るとは思わなかったです。なお、本書ではなんとなく頼りにならないような微妙な君主のように見えるジョアン3世ですが、先の展開を見通しているような描写が序盤に出て来ます(象が騎馬隊に奪われるのではないかという懸念を抱いていますが、あわやそうなりかねない展開が途中で登場します)。

興味深いものをひとつあげると、ソロモンを連れてバリャドリードへ向かう際に共に歩んだ兵士たちの隊長に関する話があります。旅の一行の中ではかなりしっかりした人物のように見受けられる彼ですが、そんな彼が手元にある高価な品を売りとばしてまで手に入れたのが『アマディス・デ・ガウラ』だったという話が出てきます。彼はアマディスの冒険譚を愛読し、自らの状況を引き合いに出しつつ夢想しますが、任務を忘れて冒険の世界に旅立ってしまうことなく話は進んでいきます。この本を愛読して違う世界へと足を踏み込んでしまった人の話が隣国スペインでこの本の時代よりややあとに描かれますが、彼が同じような展開を辿るのではないかと心配した読者もいるのではないでしょうか。

物語としては象をポルトガルからオーストリアまで連れて行く、それだけのことを扱っているのですが、何度も読み返したくなる一冊です。