まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ(木下眞穂訳)「忘却についての一般論」白水社

主人公ルドは姉が鉱山技師と結婚したことに伴い、ポルトガルからアンゴラへ渡ります。そこでアンゴラの高層マンションの最上階にて姉夫婦と一緒に暮らすようになります。一方、当時はアンゴラポルトガルからの解放闘争が展開しており、ついに1975年に独立を宣言します。しかしこれはアンゴラの長い内戦と混乱の始まりでした。

混乱のさなか、姉夫婦は行方不明になり、一人家に篭るルドも強盗まがいの兵士に襲撃されますがなんとか撃退します。しかしこのことがきっかけで、ルドは襲撃を受けることを恐れマンション入り口をコンクリートで壁を作って塞ぎ(そのため一見するとそこは単なる行き止まりのようになっています)、飼い犬とともに自給自足の生活をはじめます。

外界下から孤立し、壁があることでそこに部屋があることが誰にも知られず、人々から忘れられたた状態でルドが自給自足と思索と物書き(紙がなくなると壁に炭で書く)の日々を過ごしています。その間、壁の外では独立後の動乱のなか、様々な人々がしぶとく生き抜いています。一見関係なさそうに見えるルドと外の世界の人々の関係が引き寄せられ、結びついていく、、、、。

かつてヨーロッパの植民地が広がっていたアフリカ大陸にて、次々と独立国が生まれたのが20世紀後半のことでした。しかし独立後の歩みは決して平坦ではなく、内戦を経験した国々もいくつも見られます。そしてポルトガルの植民地であったアンゴラも例外ではありませんでした。本書はアンゴラの独立とその後におきた内戦の時代から数十年先のことまでという長いスパンで、この国の歩みとそこで暮らす人々を描き出しています。

ルドの高層マンション引きこもり生活は様々な形で自給自足生活が行われており、その様子からはすこし『ロビンソン・クルーソー』のような雰囲気も感じられます。他方で、自給自足の合間、暖を取るためなど様々な理由から部屋にのこされた本を焼いていくのですが、部屋の壁を使って一人自分に問いかけながら考えたことや思いついたことを書きつけていきます。このように様々な形をとりつつ言葉により生かされているルドの姿を見ていると、意味や解釈は全くこの状況とは違いますが、なぜか「はじめに言葉あり」という言葉が思い浮かんできました。

ルドの過去および内戦中の出来事は過酷であり重苦しい出来事なのですが、本書ではそこまで上手く繋がるのか、序盤で展開分かるという人もいるかもしれませんが、軽やか、かつ巧みに繋げられながら物語が展開していきます。内戦の時代の不当逮捕や拷問、私刑、弾圧が横行する世界で、そんな状況を巧みに乗り切るしぶとく逞しい人々が終盤結びついてくとともに、登場人物がそれなりの「救い」を得ていきますが、悪党に対しても著者の眼差しは暖かいように感じます。軽やかで暖かさを感じる叙述で、本国ポルトガルと植民地アンゴラの関係性や内戦中の出来事といった重く深刻な題材をくるんでおり、重いけれど軽さと明るさを感じる一冊となっています。ルドが擬似家族的なつながりをアンゴラで作り、結局本国に帰らないことを選ぶ終盤などを読みながら、植民地と本国の関係性のことについて色々と思う人もいるかもしれませんが、まずはストーリーテリングを楽しむということから入るというのは方法としてありだと思います。