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吉武純夫「ギリシア悲劇と「美しい死」」名古屋大学出版会

「美しい死(カロス・タナトス)」という表現がギリシア文学にはあるようです。三島由紀夫があこがれた、古代ギリシアにおける「美しい死」とは一体何なのか、美しいなどの意味を持つギリシア語である「カロス」で形容される死とは何か、その意味がどのように変わっていったのか、「カロスな死」という表現がギリシア悲劇ではどのような場面で使われ、それがどのような効果を示しているのか。それを明らかにしていこうとする一冊です。

本書の構成は二部構成で、一部ではギリシアにおいて良き死とみなされるものは色々とある中で、「カロスなる死」として認められるのはどのようなことなのかを明らかにしていきます。ホメロスにおいてカロスという言葉が使われる場合、修飾する対象により優れていることを示す場合と、適切である・基準にかなうといったことを示す場合があることをしめしつつ、戦死一般について肯定的に評価することはみられないとしています。

では、死がカロスであると修飾されるようになり、戦死一般を肯定的に評価するようになるのはいつ頃なのかということについて、本書ではテュルタイオスがきっかけであるとしています。彼の詩句における表現が「カロスなる死」として戦死を捉える嚆矢となり、以後紀元前5世紀には戦死だけでなく問題のない、適切なといったことを意味する言葉となり、それが死とも結びついて使われています。このように「カロスなる死」がその意味内容が徐々に拡大していったことが扱われているのが第一部です。

第二部では、アテナイの悲劇においてカロスが死と結びつけて使われている場面をいくつか取り上げていきます。しかし、取り上げられているのは、立派に戦って戦死した事例とはかなり違う場面がつづき、カロスな死が意味することの揺らぎや違いといったことが示されているように感じました。「アンティゴネ」ではアンティゴネがカロスな死を願いながら実現できぬ様を、「アイアス」では自死することで立派な死を遂げたようでありながらも彼の名誉に関わる不面目を引き起こしかねなかったという展開を取り上げながら、「カロスなる死」について考えを巡らせています。

さらに「ヒケティウス」では「カロスなる見もの」である戦死遺体が引き起こす戦争についての感情の高ぶりと、戦争に対する理性的・合理的な思考の葛藤が、「オレステス」ではある時点ではカロスなる死を求めたオレステスが単なる埋め合わせ欲求にとらわれていく姿が描かれています。そして「オレステイア」ではおよそカロスという形容詞にふさわしくないアイギストスに自分の死はカロスであろうと敢えて口にさせることで、オレステスアイギストスの内面がよりくっきりと示されていきます。

ギリシア悲劇など、古代ギリシアの文献を探求し、ギリシアにおける「カロスなる死」が戦死に関して使われることが多かった言葉が、やがて戦死だけでない死についても使われるようになることを本書では示しています。そして、それがギリシア悲劇で使われるとき、悲劇の観客に戦死に限らない「美しい死」の実現可能性、「美しい死」という表現から派生する事柄について思いを巡らせる機会が与えられたということでしょうか。当時の社会で是とされている考え方と、それとはまた違う可能性について考えをめぐらせる素材としてギリシア悲劇が機能していたということでしょうか。