まずはこの辺は読んでみよう

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北村紗衣「シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 近世の観劇と読書」白水社

英文学というとシェイクスピア、良くも悪くもそのようなイメージが定着しているように思います。用いられるセリフが格言のような形で使われることが多く、教養として必須であるという人もいます。また、日本の英語教育について何か文句を言いたい人が、「シェイクスピアは読めても「生きた」英語が使えない」といった具合に批判的に取り上げたりすることもあります。

このような現象も、シェイクスピアの作品が現代において読まれるべき「正典」として見られているからこそでしょう。しかし、同時代において彼の作品および彼についてそこまでの評価はなされていなかったようです。現代人はシェイクスピアの語彙の多さが尋常でなく、それ故に複数人説も唱えられたりするのですが、同時代において彼は決して教養ある劇作家とはみなされていなかったとされています。

そんなシェイクスピアがいつしか英文学の「正典」となっていき現在に至るわけですが、それは高名な学者や文化人、政治家、教育者の力だけではありません。シェイクスピアの「正典」化は、シェイクスピアを様々な形で楽しんだ無名の人々の存在があってこそであり、そのプロセスに女性の存在が影響を与えているというのが本書のスタンスです。

内容で興味深いことを幾つか取り上げていくとこの時期に刊行されたシェイクスピア戯曲(ファースト・フォリオやクォートなど)を追いかけ、そこにある蔵書票やサインなどごくわずかながらも残された痕跡から女性の読書とそれに関連・付随する事柄を探ったり、シェイクスピア劇に関する劇評を書く女性やシェイクスピアの研究活動に参加したりそれを支援するといった知的活動に関わる女性の存在を取り上げていきます。叙述についても、「解釈共同体」などの難しい言葉が随所に見られますが、現代的なたとえ話などを駆使してわかりやすくしているところも良いと思います。

シェイクスピアの劇を鑑賞し、作品を読み、色々と論じてきた女性たちの存在が本書の調査研究で浮かび上がってきますが、名前の伝わっている何人かの女性たちの背後には、何かしら目立つ活動をしたわけではないが劇を楽しんだ多くの女性たちがいたこともまた示されていきます。こうしたシェイクスピアを楽しんだ女性たちの家庭環境がかなり重要な要素となっていたことは随所で指摘されています。

さらに、英文学の「正典」として彼を取り上げることで、高等教育を受けていなくとも作家として活動できることを示し、女性作家が自らの立場を擁護しようとしている事例があります。古典語に通じておらず、英語で作品を書いたというのは当時としては高等教育をちゃんと受けられず、教養がないとされた彼だからなのでしょう。そのほか、女性たちがシェイクスピア劇の登場人物のなかで特に反逆的な人物に対し興味を抱く傾向があったということなども示されてきます。
 
わずかな痕跡をひろい、それをたどりつつ、女性のシェイクスピア受容、「正典」化へのを明らかにしていく本で、非常に刺激的な読書となりました。内容としては、この記事で書いた以外にも色々と興味深い話ものっているので、この機会に読んで見てはどうでしょう。