まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

ジム・シェパード(小竹由美子訳)「わかっていただけますかねえ」白水社

本を手に取るときのきっかけは人によって色々あると思います。表紙のデザインだったり、タイトルだったり、有名な人が書いているから等があるとおもいますが、今回取り上げた本は、「わかっていただけますかねえ」という、こちらをなんとなく挑発しているようなタイトルと、収録された短編の1つの主人公テレシコワじゃないかと思われるソ連の宇宙飛行士が少し微笑んでいる様な表紙がなぜか気になり購入してしまいました。

内容としては、古代ギリシアマラトンの戦いや古代ローマハドリアヌスの長城を舞台とした話、さらにオーストラリア探検やイエティを探すチベットの探検、チェルノブイリ原発の事故からアメリカのアメフト部やサマーキャンプまで、いろいろな時代の様々な人物の視点から描き出していく11の短編からなっています。

戦争だったり、事件や事故、革命など様々な出来事が題材となっていますが、物語の結末は、その出来事が解決したわけでもなく、ぷっつりとそこで話が切れるようなものも多く、登場人物たちがいろいろな状況下で様々な思いを抱えながら生きている様子が描かれていきます。そのなかで父と子、夫と妻、兄と弟といった近い肉親の間の近くにいながらも、何故かねじれていたり、ずれていたりする関係とそこから生じるなんとも複雑でもやもやとした感情が描かれた話が多かったように感じました。

いくつかある話のなかから一つ選ぶとすると、古代ギリシア史好きとしては、やはり「俺のアイスキュロス」は取り上げておきたいと思います。三大悲劇詩人の一人として知られるアイスキュロスペルシア戦争の同時代人で、歴史的出来事を題材とした数少ない現存する悲劇「ペルシア人」を書きました。また、彼は実際にマラトンの戦いにも従軍しており、そこで兄キュネゲイロスが戦死した事も知られています。

アイスキュロスマラトンの戦いに従軍し、その時に兄キュネゲイロスが戦死した事、彼が悲劇作家として様々な作品を書き残している事(この物語でも、彼が悲劇の上演を行い賞賛を得ている事をうかがわせる記述が見られます)、これらの材料を膨らませて、マラトンの戦いおよび過去の出来事を、アイスキュロスの視点から描いていきます。その場にいるかのようなマラトンの戦いにいたるまでの現地での出来事と両軍の激突の描写には引き込まれるものがありました。そして、戦いの光景もまた彼に新たな言葉を紡がせる養分になっていくかのようです。

そして、さも現地にいるかのようなマラトンの描写の合間には、アイスキュロスとキュネイゲロスの2人のなんとも微妙な関係、心理状態の描写が挟み込まれています。一家の中で父親は長兄のみを大事にしているようで、キュネゲイロスとアイスキュロスはあまり父親からも大事にされていないような雰囲気は感じられ(長兄が死んだ時の父親のセリフはそれが現れているように思います)、この2人はそれなりに仲が良いような場面も見られます。

しかし、仲良くしている場面以上に、この2人のなんとなくもつれた関係のほうが目に付きます。天与の才に恵まれ、泉の水が湧き出るように、次から次に言葉がでてくる弟と、おそらく古代ギリシアのポリス市民として極めて模範的なタイプと思われる兄の間には理解し合えない部分もあるようです。「俺のアイスキュロス」と言っていますが、兄が弟に色々と気を配ってはいるものの戸惑いや苛立ちを隠せない様子がうかがえます。また、弟も兄に対して色々と思うところはあることは序盤に語られています。天与の才能がかえって彼と兄の関係を不幸なものにしていると感じる場面が結構目に付きました。

歴史の一場面に立ち会っているような感覚が味わえる、随所に挟み込まれた心理描写が印象的な作品が多い短編集です。