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しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

藤澤房俊「ガリバルディ イタリア建国の英雄」中央公論新社(中公新書)

ガリバルディというと、ある年代以上の人はガンダムモビルスーツの名前で覚えている人がいるやもしれません。しかし、彼について日本で一般的に知られているであろうこととしては、イタリア統一(リソルジメント)の際に、シチリア島に「千人隊(赤シャツ隊)」を率いて上陸し、両シチリア王国を破り、イタリア南部を献上した中心人物だということでしょうか。

しかし本書を読むと、彼の生涯はそれだけではなく、南米へ渡り、ブラジル、そしてウルグアイで戦い、そこから1848年のイタリア独立への戦いに参加し、イタリア王国建国後もさらなる統合(特にローマ教皇領)をめざして戦いを挑み、さらにパリ・コミューンのパリ防衛の戦いにも病身をおして参加するといった具合に、様々なところで戦い続けていたことがよくわかります。戦えば必ず勝つ、というわけではなく、てひどい敗北を喫したことも幾度となくありますが、それでも再起し、仲間を集めて戦い続けている様子がまとめられています。

本書を読んでいて、ガリバルディについては新聞などによる情報発信が発達した時代ならではの英雄という印象を受けました。ローマ共和国の軍で戦うことになった彼を将軍として賞賛したのは新聞報道だけという同時代人による批判、ジャーナリストによって創作された彼とマッツィーニのマルセイユでの出会い(ご丁寧に挿絵まで作られている)、南米での戦いを報道するヨーロッパの新聞による誇張された活躍の記事、などなど、ガリバルディの動向、活動を報道する多くの新聞やジャーナリストが多く見られます。

そして、増幅された彼のイメージは環大西洋世界に広がり、イギリスを尋ねれば様々人々から歓迎を受け、アメリカからは南北戦争の時に司令官をやって欲しいと要請されるほどの存在となっていたことが本書ではまとめられていますし、環大西洋世界のみならずアジアにも影響を与え、明治日本では西郷隆盛になぞらえられ、朝鮮半島の人々からも自由をもたらす英雄として尊敬されることになった様子が本書の最後でまとめられています。

生前よりすでに神話の世界の住人のようになっており、彼が住むカプレーラ島はさながら聖地のような様相を呈し、彼の身につけたものや体の一部はまるで聖遺物のように扱われている人物です。政治的駆け引きの才能は全くなく、戦略的な才能にも疑問符が付けられ、そこそこの教養はあるが思想家的知性はない、しかし本書で指摘されていることですが、民衆が何を望んでいるのかをすぐさま理解し、社会の中心的問題を素早く把握する能力をもち、正しいことを信じ正しくないことは断固拒絶するという彼には、間違いなく英雄足り得るものはあると思います。

圧政と戦う、イタリアの独立と統一のために戦う、しかし決して私利私欲のためではない、そういったところが愛国者や民主主義者の共感を集めたのでしょうか。こういう人を頭目として人々を束ね、足りないところは他の人間が補う、そのような形でチームを作れたなら、相当強力なチームができるのではないかと思う人ですね。問題は支える人々をどうやって探すかということにかかってくるのでしょう。カヴールなみの政治的センスがないと彼をコントロールするのは難しいように思います。

もちろん、人間的な弱味もあり、特に女性関係では色々と問題も起こしていますし、よく言えば臨機応変、悪く言えば行き当たりばったりな戦い方、熟慮という言葉とは無縁なパーソナリティもやはり批判はうけています。そして、何より、イタリア統一や独立のために人々を鼓舞し戦いに駆り立てることはしても、統一の先の展望というものを持ち合わせていないという大きな問題も抱えていたようです。

イタリア独立と統一の大義がすべてに優先されたとき、彼は人々の抱く不満や反発に耳を傾けていないことがシチリア上陸やそれ以降の場面で現れてきます。南イタリアの社会問題解決を人々は期待していましたが、それが果たされなかった時、彼らは反乱を起こしています。これに対する彼の考えは義勇兵を解散したせいだというものですが、一つの大義をすべてに優先した結果、世の中のことを見ていない、考えていないと批判されても仕方がないところだと思います。

まとめてしまうと、極めて単純ではありますが様々な欠点を抱えてはいますが、それを補って余りある魅力が彼にはあったということでしょう。そういった人としての弱さと強さ、両方をコンパクトによみやすくまとめた一冊としてお勧めできると思います。