まずはこの辺は読んでみよう

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佐藤真理恵「仮象のオリュンポス 古代ギリシアにおけるプロソポンの概念とイメージ変奏」月曜社

古代ギリシア語に「プロソポン」という単語があります。この言葉は第一義的には顔、そして前面や正面といった意味があり、そのほか顔つきや容貌、仮面、役柄やキャラクター、登場人物、さらに人、存在、法的人格、人などの特徴という意味があり、神学では位格といった意味もあるということですが、様々な意味を含み、さらには顔と仮面という対立しそうな意味を含んでいたりします。

本書では、この「プロソポン」という言葉の多義性がどのようにして可能になるのか、その基本概念から扱いはじめ、さらにこの言葉から派生した表現や言葉、概念の分析を行います。「顔」が他者のまなざしにより与えられることや、「顔」も特定の部位でなく容貌や雰囲気などを含めたものであることや、多義的であることも視覚の表層に現れたものとしてこの一言で表せることが述べられていきます。そのため、本書のあとの部分ではギリシア人のやりとりでも意味の揺らぎとおぼしきものが見られたりする様子も扱われています(ソクラテスの対話にて)。

しかし、一方でこの基本的な概念だけでなく、仮面という意味に特化したプロソペイオンという単語、「お化けの仮面」の比喩など仮面の裏・下にあるものを想起させる話の存在、「うわべと心」のような論題もプロソポンとカルディア(心)を対で用いるなかで作られていったこと、そして当初は説明することやうまく演ずることを意味しながら、いつの間にか偽善とか偽りといった意味を持つようになったヒュポクリテスという単語など、プロソポンに含まれていたものや派生したものが対概念となっていくという分離や乖離の過程を検討しています。この分析の過程で、仮面というとどうも否定的なニュアンスを感じるところがありますが、決してプロソポンは否定的な意味合いを持って使われていたわけではないことも明らかになっています。

第2章にうつると、悲劇や歌の導入を意味して使われる事例や感情や性格など見えない物を見えるようにする媒介といった意味合いを持つこと、そしてエイドラという単なる視覚イメージでなく、魂や情念などもこもり、そのイメージを受け取った者にいろいろな影響を与えるものなどが論じられています。

第3章ではプロソポンの正面性をとりあげ、「普通ではない」シチュエーションや人物、ものを描くときに正面向きの画像が使われることが多いことが述べられていきます。また、正面を向いて向き合うということで、鏡のメタファーが使われることがあるようですが、それについても単に自己を映し出す鏡ではなくもっと複雑であることを述べていきます。

そして、第4章ではアプロソポスという派生語・新造語が取り上げられます。接頭辞のアがつくことで顔がない、非個人的な、仮面を付けていないといった意味を持つ言葉になっていますが、この言葉を探りながらプロソポンについてもまた考えていこうという内容でしょうか。

ある人の性格と振る舞い、容貌を結びつけるというのはギリシアにおいてみられることのようで(そこをあえて外した表現も時々出てくることがありますが)、ホメロス叙事詩でもそれを伺わせる表現は所どこで目につきます。現代に生きる人間からすると、何とも理不尽だと感じることもありますが、見える物と見えない物の関係の変遷はどこかまた別の本で読んで勉強してみたいところです。また、目に見える顔と見えない性格の結びつきはギリシア劇の仮面にも現れているようですが、仮面劇と言うことで日本の能はどうなのかなど、興味は尽きません。

他者との関係についても、他者は自己を映し出すと鏡と単純にはいえず、他者と自分の間には超えられぬ境界線がひかれているといった内容やナルキッソスオイディプスなど自己同一化や自己の発見が生み出した悲劇にも目を向けているところもまた興味を引きました。自己と他者の認識というと、一時歴史の研究でもはやってそれに関する本がいろいろとあったような記憶もありますが、そうした視点のとりかたについて再考するヒントになりそうです。

本当の自分とは何だろうというと、現代社会で多くの人が抱える悩みの1つだろうと思います。何とかして本当の自分を探したいと言うことで「自分探し」にはまり込み、かえって迷走しているような人もいます。また、現代社会でもネットやSNSなどで様々な「顔」を使い分けている人は多でしょう。古代ギリシアの一単語についてその概念やイメージを分析するというと、何となく現代と関係ないように思う人が多いでしょうが、今を考えるきっかけ、今をよりよく生きるヒントは案外そう言うところに転がっているのではないかと思います。一方で、なぜ近代になって本当の自分という者が求められるようになったのか、それもまた気にはなりますが、どうなのでしょう。