まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

ラーナー・ダスグプタ(西田英恵訳)「ソロ」白水社

物語のはじまりは現代のブルガリア、もうすぐ生涯を終えそうな盲目の老人ウルリッヒが自分の生涯を回想しています。鉄道技師の父と、政治や社会など様々なことに関心を持つ母の間に生まれた彼は、幼い日には音楽に興味を示しながらも音楽を諦めることとなりました。その後、化学の道を志しドイツに留学しながらも、家庭の事情でそれも途中で打ち切ってかえることになりました。

音楽と化学に魅せられながらも、どちらの道でも大成することがなかったウルリッヒ老人の百年近い生涯を回想しながら語っていく物語が、オスマン帝国の支配、独立、社会主義体制とその崩壊というブルガリアの現代史とあわせて語られていくのが第1部です。ウルリッヒの回想として語られて行きますが、ところどころ欠落し、なかなか思い返すことができなくなっていたりするところを挟みながら、望みを叶えることができなかった男の重く沈んだ約1世紀といった趣の話でした。

これだけですと、重い話だと思っておわってしまうところですが、ウルリッヒがたびたび浸っていた白昼夢の世界を舞台にした第2部にはいると、物語の調子が一変します。ウルリッヒの白昼夢の世界を舞台にした物語では、彼が諦めた音楽の才能に満ち満ちたボリスの活躍と、社会主義崩壊により没落した一家において、才覚、意識、美貌を活かして上昇しようとするハトゥナの物語を軸にした、かなり荒唐無稽な夢の世界が描かれて行きます。そしていつの間にやらウルリッヒ自身が夢の世界にも登場するのです。この白昼夢の世界は、これだけでも独立した物語のように楽しめますが、夢の中の住人がいつの間にかウルリッヒのコントロールが効いていないような存在になっているように感じるところもありました。

現実社会で苦しい思いをしている時、人はそれから逃れる手段として空想の世界に浸り、それを楽しむという経験をした人はそれなりにいるのではないでしょうか。そこまでではないとしても、仕事が大変で思うようにいかない時、いまは大変だけれど、これを乗り切ったら色々と楽しいことをしようと、あれを買おう、あの映画を見よう、どこかに旅行に行こう等々の希望が支えになるという経験は多くのひとがしているのではないでしょうか。

百年にちかい生涯を回想するウルリッヒの白昼夢の世界は最後、それまでの華々しく激しさを感じさせる展開を経て、静かさを感じる結末を迎えます。現実社会では全く報われることのなかったウルリッヒが、現実と折り合いをつけるためにはこの白昼夢の物語は必要だったのでしょう。静かであり、余韻を感じさせる終わり方の一冊でした。読み終わってしばらく経つと、また読み返したくなってきます。