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中西恭子「ユリアヌスの信仰世界」慶応義塾大学出版会

ユリアヌスというと、辻邦生の小説が有名ですし、世界史リブレット人シリーズからも南川高志「ユリアヌス」のようなコンパクトな評伝があります。キリスト教化がすすむ古代ローマ世界で、古代の信仰を復活させようとした人物としてしられていますが本書ではユリアヌスが復活させようとした信仰がいったいどのようなものなのか、ユリアヌス自身が書き残した著作や、彼の同時代前後に生きた人々の書き残した文書、著作といった史料をもとに描き出していきます。

学問と思索の世界に生きてきたユリアヌスが皇帝となり復活させようとした「父祖伝来の祭祀」である共同体的多神教は統一的教義や聖典をもたず教団として組織されていませんでした。そのようなものから、精選され浄化された古典籍とイアンブリコス派新プラトン主義の思想を柱とし、民衆の模範としての役割も期待された「神々との交流」を司る神官がいる、一つの宗教として確立するに至ったのは、文人ユリアヌスの思索と修養の一つの到達点ではあると思いますが、この共同体的多神教は、単純な伝統信仰の復活ではなく、彼の頭の中で作られた「作られた伝統」そのものにもみえてきます。

このような「作られた伝統」が上から一方的に押し付けられることに加え、帝国領内の民族ごとに何を信じるべきかが上から強要されたり、さらに本来色々な人に開かれているべき言語や教養、学識といったものが一部の人間のみが享受できるようにされたり、それを教えることも規制されるなど、清浄なる信仰世界を希求した文人皇帝の理想実現の試みは世の中に混乱を引き起こす結果になってしまいました。ユリアヌスの「復活」させた共同体的多神教は受け入れられることなく失敗しましたが、似たようなことはほかの時代や地域、そして今の時代にも見られるように思います。そして、清浄なるもの・正しいものに限ったことではないですが、自分が信じるものだけを価値あるものとし、それ以外を排斥する姿勢は為政者としては失格でしょう。本来政治に関わるべきでなかった人が政治に関わった結果、ディストピアが現出してしまったという感は否めません。

ユリアヌスに影響を与えた思想や学問はどのようなものか、また彼がどのような信仰世界を作り上げていたのかといったことを扱うほか、当時の人々の間にどのような問題を引き起こしたのかといったことや、ユリアヌスの考え方に対してどのような批判が展開されたのかといったことが扱われた本で、ユリアヌスについて専門的に扱った書籍というのは貴重なので、読んでみても良いのではないでしょうか。