まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

(再読)佐藤昇「民主政アテナイの賄賂言説」山川出版社

民主政アテナイの賄賂について、賄賂について語られた言説を色々と検討しながら、当時の人々が賄賂という物をどう考えていたのか。本書は民主政アテナイの賄賂に関する言説を手がかりに、アテナイ市民の権力観やそれを生み 出した政治・社会・文化的背景を探る本です。

第1章ではアテナイ民主政で抽選により選ばれる普通の公職者に対する賄賂言説と、それがなされた背景を、第2章では国内の政治家(レトル、ポリテウオメノ スと呼ばれる政治の世界で自発的に行動する人々。決して身分として「政治家」が確定していたわけではない)の賄賂に関する言説をとりあげ、国内政治家の間 に巡らされたパトロネジ関係の政治利用と民主政の活発化を論じます。そして第3章は極めて厳しい非難が外交使節に頻繁に加えられていたことを取り上げてい きます。

民会が最高議決機関とされ、ほぼすべての公職が抽選で選ばれる民主政のアテナイで、アテナイ市民はどのような人が権力を持つ人々と見ていたのか、それを探 るために賄賂に関する言説を取り上げて分析し、紀元前4世紀のアテナイ民主政の状況を賄賂を切り口に描き出しています。賄賂についての言説、特に弁論にで てくる賄賂に関する言説ですが、弁論という物の性格上、実際にそれをもって賄賂があったと言うことを示しているわけではありません。

しかし、どういう人々に対して賄賂にまつわる言説が展開されているのかということをみる事を通じ、アテナイ民主政では一般的な公職者を影響力を行使する存 在としてはそれ程見ていなかったということや、市民が政策決定を下すにあたり「政治家(レトル、ポリテウオメノス)」の発言に依拠していた事から、彼ら政 治家が不正な発言をするのではという懸念がつきまとっていたことが示されていきます。

また、市民の間での私的結びつきが民主政で様々な形で活用されてきたことが示されています。政治闘争で違法提案に対し告発が行われ、市民権剥奪や処刑と 行った思い刑罰も科されることがったアテナイで、有力政治家が自分の代理、身代わりのような形で政治家を用い、リスクを避けつつ政治活動を行うことが可能 となり、結果として民主政を活発化させていたと見られています。市民が政治家の賄賂を批判するのも、賄賂をもらった政治家が賄賂を贈った者との間に従属す るような関係を生じさせ、贈賄者の意向にそう形でアテナイを引っ張っていこうとするという懸念があったためでしょう。

そして、外国からの賄賂についても検討されており、ペルシアやマケドニアからの賄賂がよく言説に出てくるものの、デロス同盟があったころはドロス同盟諸都 市からの賄賂というものも見られ、アテナイを取り巻く国際情勢の変化により、賄賂を贈ってくる者が大きく変わって来ることが示されています。また使節は再 任可能である程度自主的な判断を下すこともあり、一般公職者と比べると影響力を行使できる存在と見られていたことも、使節を告発する事例が比較的多いとい うことと関係があるようです。そして使節についても私的な結びつきに基づく外交が展開され、外交に関して収賄批判がおこる背景となっていたようです。

市民が等しく政治参加をして国の方針を決定するアテナイ民主政のしくみは前5世紀、そして前4世紀に整備発展していったことはよく知られています。しかし そのようなシステムだけでなく、市民の国内外での私的結びつき、特に有力市民と新興の富裕市民、中下層市民などの間でのパトロネジ関係やペルシアやマケド ニアといった国々との私的な結びつきによってより良く運営され、活発化していたということが論じられていきます。

アテネ民主政において、ペロポネソス戦争時のクレオンのような新興富裕層、中下層の市民が政治の世界でも活躍するようになっていく様子はうかがえます。政 治の世界に関わる人の出自が段々と変わっていったということを示し、彼らの政界での活躍を可能とした要素として有力者との結びつきを見る点や、現代の主権 国家体制と違う古代ギリシアでは外交においても私的な結びつきが極めて重要であったことなど、本書では興味深い事柄が示されていきます。普通であれば表に でてこない裏にある事柄が民主政の運営でも重要であり、それ故に政治家や外交使節が自分達の見えないところで何かやっていて、それを通じて自分達の都合の 良い方向に導こうとしているのではという疑念が賄賂言説と言う形で現れていると言うことでしょうか。

様々な制度や法律が残されていれば、それが即機能しているというわけではないということは、日常生活を送っていれば常に感じることでしょう。様々な法律が 厳密に運用されているわけでも、制度通りにすべてが動いているわけでもないと言うことも感覚としては分かっていることでしょう。アテナイ民主政について も、贈収賄を禁止する法律や、買収を防ぐために複雑な抽選を陪審員選出のためにおこなったこと等々高度に整備されたシステムをもっていたことが明かになっ ています。こうしたシステムをより良く機能させ、民主政を活発化するために市民同士の関係が大きな役割を果たしていたことや、当時の人々がだれを「権力 者」として考えていたのかといったことを、賄賂にまつわる言説を通じて明らかにしている一冊です。