まずはこの辺は読んでみよう

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デイヴィッド・ブロー(角敦子訳)「アッバース大王」中央公論新社

原書のタイトルには、サブタイトルとして「現代イランの基礎を築いた苛烈なるシャー」という言葉がそれられています。前近代イスラム世界の大国というとオ スマン帝国があげられます。東地中海世界一体をおさえ、ヨーロッパ諸国を脅かした大国ですが、そのオスマン帝国の東隣にあったサファヴィー朝にこの大国と 張り合った国王がいました。彼の名はアッバースサファヴィー朝の国王アッバース1世として知られる人物です。彼が即位する前のサファヴィー朝は東はウズ ベク、西はオスマンと2つの勢力の狭間で苦しみ、国内ではトルコ系遊牧民キジルバシュの勝手な振る舞いが乱れを生み出し、存亡の危機と言っても良い状態で した。

そのような状況下で国王に即位したアッバース1世は軍制改革や絹織物交易を独占する経済政策、新都イスファハーンの建設、領土の奪回などサファヴィー朝の 最盛期を現出し、滅びかけていた王朝の中興の祖としてその名を残しています。しかし彼について現代語で読める伝記はあまりなく、本書は最近の研究成果を盛 りこみながら書かれた貴重なアッバース1世の伝記です。アッバース即位前のサファヴィー朝の状況から、アッバースの生涯、さらにアッバースの人となり、彼 の宮廷、芸術、さらに貿易の振興、都市イスファハーン、シーア派正統の十二イマーム派との関係等々を書き、イランの歴史の流れの中でのアッバース1世の位 置づけ、果たした役割を考えていきます。

キジルバシュたちが対立抗争を繰り広げ、敗れた側には過酷な運命が待ち受けていた当時のサファヴィー朝において、彼は幼少期のいつ殺されてもおかしくない 状況にありました。そのことが後にキジルバシュたちとの対立にもつながるとともにその後身内や有力家臣に対し情け容赦なく酷薄な対応をとったり、罪に問う たりという行動の一因であると考えても良いと思います。そして、おそらく幼年期の経験から猜疑心が相当強くなっていたであろうということは、一寸した事が 原因で実の子どもにたいしても長男を殺害、他の子どもも盲目にして王位継承から外してしまうという、王朝の存続ということを考えるとかなりまずい事まです るに到っているところからも分かるのではないでしょうか。

一方、サファヴィー朝を強くするため、キジルバシュに頼らなくても良い常備軍の設置を進めたり、対オスマン帝国という事でヨーロッパ諸国との同盟を模索 し、各国に使節を送ったり、キリスト教に対しても寛容な姿勢を示し、さらに絹を交易の武器として使っていこうとするなど、様々な手段を講じながら国を強化 していく国王としての姿もしっかり描かれています。常備軍設置や中央集権化の功罪両面について触れていたり、十二イマーム派を王権正統化のために利用した ことはやがて法学者による支配への道に影響していたこと等、彼の時代に行われた事がその後のサファヴィー朝、さらにはイランの歴史に色々と影響を与えてい ることが本書では示されています。

ヨーロッパとのつながりという事で言うと、この本ではアッバースとヨーロッパ諸国の関係についての記述がかなり多くなっています。教科書的にはかなりさ らっとふれられているイギリスなどとの関係についても、かなり詳しく書かれています。教科書でさらっと書かれている文言の裏には、これだけの錯綜したやり とりがあったのだという事は気に止めておくべきでしょう。それにしても、シャーリー兄弟のような山師同然の人がイランとヨーロッパを股にかけて活躍できる ところを見ると、この頃の外交は現代の外交とは著しく異なっていたようです。

アッバース1世という個人については猜疑心が強く長男を殺害、その他の子どもの目をつぶすという行動をとったり、裏切り者や何かしくじった人に対しては容 赦ないのにたいし、後宮からでる女性に対しては十分な持参金を持たせてやるこころづかいもみられたり、陽気で気さくな一面もあったりと、なかなか複雑な人 物である事が窺えます。その他、工芸を趣味とし、酒、狩猟、乗馬を好むほか、様々な事に興味関心を持つタイプの人であったようです。君主として仕えるとな ると常に緊張状態に置かれ、長きにわたり仕え続けるのは難しそうな印象を受けますが、一個人としてはなかなか面白そうな人物ではあります。個人的には、敬 して遠ざけておくか、懐に飛び込み心を掴むか、距離の取り方がなかなか難しい人物であるように感じました。