まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

土口史記「先秦時代の領域支配」京都大学学術出版会

(本当は7月に読み終わっていたのですが、感想を書き上げるのが遅れたので、8月分に掲載することにします。)

国史をならうと、郡県制と言う言葉が出てきます。秦漢帝国の時代から使われ、その後の中国の統治にも引き継がれるような仕組みですが、それがいったいい つ頃からできてきたのかをめぐっては諸説がありますが、封建的な支配から郡県制へ移行していったというのが教科書的な理解であろうと思います。

しかし、先秦時代の領域支配は郡県制成立にいたる発展段階として理解して良いのか、それ以外の支配のしくみはなかったのか、あらためて検討しようとする動 きもあるようです。本書では、従来のような単純な「郡県制形成史」ではない春秋・戦国時代の領域支配のありかたを楚や晋(および韓魏趙。特に魏の事例が多 い)、秦の事例を検討しながら描き出していきます。

先秦時代の史料において、確かに「県」という言葉は出てきますが、そのことを理由にその時代に郡県制があったと捉えてはいけない、その言葉が使われた文脈 をおさえて読まねばならないということが示されていきます。「県」という言葉は、これを動詞として使う用例が多く、その場合は単に遠隔地に領土を獲得した といった程度の意味であるようです。

一方で、春秋時代には軍事的役割から普通の邑と区別される特殊な邑も現れ、それが「県」制度化へとつながっていった可能性が指摘されています。戦地に近い 邑や被侵略地付近の邑からの軍事動員に伴い、遠隔地の邑への支配の強化がすすみ、さらに内地にまで「県」が設置されていった可能性が、春秋時代の晋にみら れます。

晋が分裂して韓魏趙に分かれたとき、魏では分散している領土(邑)を統合し、一円的な領域支配を確立する過程で「県」制も中央集権的なものとして整備され ていったと見なされています。なお、そこで整備された「県」制が秦の商鞅県制に継承された可能性もあるようです。この辺りの事例を見ると、晋にとってはつ ごうのよいしくみでも、それが分裂したことによって領土が分散し、その間は晋の「県」制は十分な機能を発揮できていなかったと考えた方が良さそうで、 「県」制実施=中央集権で強いと単純に考えるべきではないということは気に止めておくべき事だと思います。

秦以外のところで、県制について検討されている国として、楚の事例も挙げられています。楚に関しては近年発見された竹簡など出土資料も駆使したうえで、「県」制があったと確実に言えない状況にあることが述べられています。

いっぽう、郡については、県と比べると研究はあまり進んでおらず、秦における郡の設置をみても、急激な領土拡大への対応策としてあわただしく郡が設置されていったとみるべきものであることが指摘されています。

本書は、先秦時代の県および郡の設置に関して、軍事動員にともなう支配の強化、軍事戦線の拡大にともなう臨時的な措置といった点からとらえ、いわば非常事 態の臨時措置を恒久的なしくみに変えた点に秦の画期性を見いだしています。急ごしらえで作っていった仕組みではあっても、それが実際に使い勝手が良かった ため、そのまま継続しようという方針になったというところでしょうか。

秦による六国征服が成し遂げられて領域がまとめられてから、「郡県」が旧弊(諸侯並立、「封建」の状態)を打破する新体制として喧伝され、その時のイメー ジは後の時代にもしつこくまとわりつき、「封建」=後進的という見方はまだ残っています。それとは違う見方も可能だと言うことを、本書では提示していま す。同じ物を、また違う視点から見ることによって見えてくるものが増えることは良くありますが、「郡県制成立史」とは違う先秦時代の歴史の一端を読みやす くまとめていると思います。

恐らく史料的制約もあって難しいとおもいますが、軍事動員に伴う支配強化に、遠隔地の邑がそんなにあっさりと従ったのかとか、今回取り上げられていない 国々(韓、趙、燕、斉)ではどのような領域支配が行われていたのか等々、気になるところはあります。地域ごとに領域支配の仕組みに違いがあったと言うこ と、現在の中国の領域において、皆が同じように郡県制と言う方向に向かっていたわけではないことなどなど、色々と気づかされることが多い本でした。