まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

橋場弦「賄賂とアテナイ民主政 美徳から犯罪へ」山川出版社

現代の日本では贈収賄が厳しく罰せられることになっています(過去、ロッキード事件リクルート事件などの大事件があります)。その一方で、日本社会ではお中元やお歳暮などの贈り物を送ることも、最近は昔ほどではないようですがまた当たり前とみなされています。では、そこから遡ること2400年ほど前のアテナイでは「贈与」と「賄賂」の関係はどうなっていたのでしょうか。

 

まず第1章でアマチュアの市民による民主政が行われていたアテナイで賄賂を非難する言説がある一方、その有効性を説く言説が存在することに触れ、古代ギリシア世界では互酬性の原則が強く、賄賂についてもアンヴィバレントな感情を抱き続けていたことを述べています。さらに、賄賂についての研究史の簡潔なまとめをへて、賄賂にどの程度手を染めていたのかを確認するのではなく、賄賂に対しどのような価値観を生み出し、賄賂という現象に如何に対応していったのかを考えていくという本書の方針が述べられていきます。

 

第2章では民主政成立までの時期を中心に贈与や賄賂の問題についてまとめていきます。まず、ギリシアでは互酬制の原則が強いことにふれ、贈与を通じて人間関係を成立させる、ギリシア人同士のみならず異民族との間にもクセニアという互恵関係が作られる、賄賂批判の言説には互酬性の伝統的倫理観(贈り物には返礼をする義務がある)が関係する、このようなことをホメロスやヘシオドスなどを引きながら述べていきます。また、アテナイについても民主政が始まっても賄賂に対する態度はソロンの頃に収賄に対する公的な制裁がもうけられた後もあまり変わらなかった事が述べられています。

 

そんな状況が変わっていくのが第3章で扱われるペルシアン戦争の時代であり、このときにギリシア連合軍の一員を買収して内通させるために賄賂が使われる危険性を認識し、それまで賄賂に寛容な態度をとってきたギリシア人が賄賂に対し厳しい公的な制裁を加えるようになったこと、賄賂に不寛容になったことと異人観の変化から、寛容から不寛容への変化をみてとっています。表向きは犯罪としての賄賂と他者としての異人、裏では隣人としての異人と美徳としての贈与というダブルスタンダードが作られたという指摘は面白いなと思います。

 

第4章ではさらにどのような場合に賄賂の疑いをかけられ告発されたのかを見ていきます。遠征に赴きながら撤退した軍司令官が敵国から賄賂を送られたと疑われ、政治家や評議員は貢租額を抑えたいデロス同盟参加のポリスや市民権を求める外国人から賄賂をもらったと疑われ、さらに陪審員買収の疑いまで、ペルシア戦争以降のアテナイ市民がこのような賄賂を警戒するようになり、それが第5章で見られる贈収賄罪に関する様々な法的手続きを生み出していくことになります(弾劾裁判、執務審査、法廷買収関連法、一般贈収賄関連法)。そして一般贈収賄関連法について著者はペルシア戦争末期か終戦直後に制定された法律が前5世紀末に改正され、あらゆる贈収賄に対応する形に変わったとみています。

 

そして最後の第6章ではアテナイで重大視された贈収賄が主に外部(ペルシア、マケドニアデロス同盟加盟都市、外国人)によるものであり、収賄者として主に将軍と民会で発言する政治家が糾弾され、例外的に法廷買収は対内的贈収賄のなかで制裁を受ける数少ない事例だったことがまとめられています。その背景として民主政の仕組みが対内的贈収賄が起きにくくしていたことを指摘しています。また、賄賂を悪とする理由は市民が平等に政治に参加し、賄賂は意志決定にあずかる民主政の原則を揺るがすと見られていたためという見解がまとめられています。そして、アテナイ民主政はギリシア世界に根強く残る互酬性原理をを巧みに取り込みながら(顕彰や市民権付与、名望家としての名誉と地位)、贈収賄を取り締まり、贈与文化をコントロールしていたというのが最終的な結論となっています。

 

このように、本書は古代ギリシア、特にアテナイの人々が贈り物・賄賂についてどのような認識を持ち、賄賂という現象に如何に対処しようとしてきたのか、主に紀元前5世紀までの出来事を中心にすえてまとめています。アテナイの民主政の仕組みが分からないと面白くないと思われるかもしれませんが、それに関してはかなり簡潔なまとめが所々盛り込まれており、そこを確認しておくだけでも十分対応は出来ると思います。また、文章も読みやすい本なので、古代ギリシア史に詳しくない人でも十分ついて行けるのではないでしょうか。

 

本書を読んでいると、政治や裁判などに積極的に参加しようとする人々がアテナイ市民として想定されているように感じました。そのような国家において、もし賄賂が取り締まられず、国家の意思決定が特定の個人や集団の意向に左右されるようになると、その他大勢組の市民たちに無力感を味あわせ、彼らの政治参加意欲の低下をもたらし、それによって男性市民でありさえすれば皆等しく政治に参加し、意志決定に関わるという民主政の仕組みを維持することはかなり困難になり、アテナイにとり不利益をもたらすため、アテナイで賄賂が処罰の対象となるように変わっていったのでしょうか。

 

 

なお、本書は前4世紀の状況については軽く触れているのみですが、その頃の贈収賄に関して、佐藤昇「民主政アテナイの賄賂言説」(山川出版社、2008年11月発売)が詳しくまとめているとのことです。それにしても同じ山川出版社から同じ月に時期は少々違うとはいえアテナイの贈収賄を題材にした本が2冊でたというのは、一体何があったのでしょう。