まずはこの辺は読んでみよう

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桑野栄治「李成桂」山川出版社(世界史リブレット人)

世界史リブレットから、李朝朝鮮王国の建国者李成桂を扱った一冊が出ました。本書では李成桂の一族の由来、高麗末期の東アジア情勢とその中での高麗の政治 の動き、そして建国後に発生した骨肉の争いといった内容がコンパクトにまとめられています。そのなかでいくつか興味を持ったことを挙げてみようと思いま す。

李成桂の祖先ですが、一時はモンゴルに下り、中国東北部女真族を従えつつ力をつけ、その後再度高麗に帰順しています。この過程で朝鮮半島東北部で力をつ け、女真族とも強いつながりを作り、私兵を養ってきたのが李成桂の一族だと言えます。実際にその兵力を用いて李成桂は紅巾軍や女真族と戦い、手柄を立てて いきます。

李朝朝鮮王国が成立した後、3代目太宗は親族と功臣がもつ私兵を廃し、国軍としようとしていますが、こうしたことからは高麗末期には李成桂のように私兵を 養う勢力が幾つも存在した様子が伺えます。そして、高麗末期には武臣が権力を握っており、不遇をかこつ文臣たちのなかに李成桂を支持するものたちが現れ、 彼らが李成桂に協力していった様子もまた伺えます。

高麗末期、中国では元から明にかわり、しかし元の勢力は北方にてなお健在という状況にあり、それに対して高麗も対応に苦慮していたことが知られています。 同時期に高麗国内でも政府内の権力闘争や度重なる王の交代がおこっています。このような状況で李成桂は権力を握りますが、その過程が明から不信感を抱かせ ることになり、「大明会典」にまで書かれてずっと残されてしまうことになるとは思いもしなかったでしょう。

そして、晩年は子供達の間での争いや、自分が反乱を支援するなど、暗い影が付きまとう話が多いのですが、3代目太宗との関係を見ていると、なんとなく日本 でもこういう話があったような気がします。そもそもは太宗にたいして功臣から外すという対応を取ってしまったことが根底にはあるように思えますが、何故に 彼に対して厳しい対応を取ったのかは不思議です。確かに勝手に政敵を暗殺するということも行っていますが。

高麗末期の朝鮮政治史について、東アジアの国際情勢と絡めてコンパクトにまとめてあり、この辺りの時代について知識を得るのにはちょうど良いかと思います。