まずはこの辺は読んでみよう

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藪耕太郎「柔術狂時代」朝日新聞出版(朝日選書)

柔術」というと、柔道の原型であるとか、20世紀末より注目を集めたブラジリアン柔術といったイメージが強いかと思われます。嘉納治五郎講道館柔道を作り上げ、それを日本から世界へ普及させようとしていた20世紀初頭、アメリカにおいて柔術が一大ブームとなった瞬間がありました。

アメリカで突如として柔術ブームが起きたのは何故か、そしてそれが短期間で衰退してったのは何故か、それを考えるにあたり本書はジャポニズム日露戦争、大衆消費社会、この3つが重要な要素であるとみています。柔術がブームとなった時代のアメリカ社会の様相を描き出しつつ、柔術ブームに関わった人々や出来事をとりあげていきます。

取り上げられる事柄をみると、日本において柔術を学び、それを伝えたアメリカ人や第一次大戦中の駐屯地での柔術、格闘技や護身術としてもさることながら、大衆消費社会のアメリカにおいては現代のフィットネス感覚で「身体文化」の一つとして受容された様子、流行に乗っかろうとする柔術の周囲にあらわれるメディア関係者などの話がなかなか興味深いです。

そして、講道館柔道が海外への普及に取り組み始めたその時期に、それと別系統で柔術アメリカにはいっており、柔術が巻き起こすブームとそれに対する反発や批判といった熱狂の渦に柔道も否が応でも巻き込まれている様子が窺えます。柔術と柔道については、柔道の方はどちらかというとハイソサエティむけ、閉鎖的なところに働きかけるところがあるというのは、講道館の柔道の普及プロセスを考えるとさもありなんという所でしょうか。

一方、柔術ブームにはアメリカの対日感情も影響をしていたことが窺えます。対日感情の変化に振り回された東熊勝の栄光と挫折の物語もとりあげられています。彼が柔術の大家のように祭り上げられ、柔術の伝道師として活躍するも(実際、怪しげな柔術の本を出しています)、日露戦争後の対日感情の悪化のなか詐欺師のように扱われた末、レスリングとの異種格闘戦で敗北します。

東の試合に限らず柔術レスリングの異種格闘戦で柔術が負ける場面はけっこうありますが、対日感情の悪化とともに柔術レスリングより劣る、アメリカが日本より優れている、そのような感じで受け止められていく所が描かれています。

格闘技というとやはり異種格闘技戦というのは避けて通れない話題となるようです。ボクシングやレスリングとの他流試合を行う柔術家、柔道家の話がところどころに表れますが、最終章ではブラジリアン柔術の祖となる前田光世の活動が取り上げられています。前田が海外に渡航し、レスリングの技術なども取り込みながら嘉納治五郎の柔道とはまた違う未知の可能性を模索しつつ、彼なりの柔道を考えていた姿が描かれています。

本書はアメリカの話に焦点を当てて柔術ブームについて書いていますが、柔術ブームとメディアや通信手段などの関わりにも触れている箇所があります。質はともかくとして多種多様な柔術の本が刊行され、新聞に柔術の記事が掲載され、各地に柔術を伝えに行くことが可能な鉄道網がある、そして何より海外に渡る手段がある、そういった社会と文化の関わりについても触れられており、関心をさらに広げることも可能な内容となっています。

20世一つの文化がどのように広まり定着していくのか、大衆消費社会、資本主義の世界の中で文化が消費されるなかで定着する、その一つの事例として見ることが出来るでしょうか。紀初頭、彗星の如く現れて消えていったアメリカにおける柔術ブームを題材とし、日本文化と欧米社会の関わりを描いた一冊です。